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ドジョウは、江戸下町の庶民のスタミナ料理として食べられていたようです。泥鰌と言えば江戸という感じがしますが、もともとは、全国各地の稲作地帯で、普通にドジョウを捕って、味噌鍋などにして食べていたようです。戦後、農薬を使った稲作が始まるまでは、どこの田んぼでもドジョウが獲れていたようですが、現在は、利根川水系の関東地方での収穫量が多いようです。
泥鰌は非常に栄養バランスが良い食材です。昔から「うなぎ1匹、どじょう1匹」と言われていたほどで、泥鰌は、その体の小ささにも関わらず、鰻1匹に近い栄養素を含んでいるそうです。特に骨粗鬆症の予防や神経安定に効果的なカルシウムは、ウナギの約9倍も含まれており、成人1人が1日に必要なカルシウムを、桔梗家(後述)の丸鍋1人前で摂る事ができるのだそうです。また、カルシウムやリンの腸内への吸収を助ける成分であるビタミンDや、鉄分、亜鉛も多く含まれている上、泥鰌の表面のぬめりにはコンドロイチン硫酸が含まれていて、血液をきれいにし、細胞の働きを活発にさせる作用があるそうです。さらに、しみやしわを防ぐコラーゲンも含まれているので、泥鰌はお肌にも良く、美と健康に良い食材であると言えます。 ドジョウは一年中獲れるので、下町にある有名店ではいつでも美味しい泥鰌鍋が食べられますが、卵を持っている夏場のどじょうが一番美味しいです。泥鰌だけでなく、ドジョウの卵も食べることができるので、夏のドジョウが最高なようです。浅草では「飯田屋」や「駒形どぜう」、深川は「伊せ喜」、両国の「桔梗家」などが老舗の有名店です。 東京、両国の浅草橋の近くにある桔梗家さんのドジョウ料理を食べました。昭和8年創業とのことで、なかなか伝統のありそうな(昭和8年に作った訳ではないでしょうが)店構えです。ここでドジョウの丸鍋をいただきました。 「丸鍋」は、ドジョウが丸のまま(そのまま)の形で鍋に入れられます。ネギをたっぷり乗せて、ネギが煮えたら、食べごろなのだそうです。骨が気になるかと思ったら、既にドジョウは骨まで軟らかく下処理されていて、骨も頭も柔らかくて、全く意識することなく丸ごと美味しくいただけました。きっと、下処理の技術がすごいのだろうと思います。また、スープがドジョウに合わせた特別なものだろうと思うのですが、非常にあっさりしていて、どんどん食べられてしまいます。最初に3人前を頼んで、ペロッと食べてしまったので、今度は2人前を追加しました。御好みで、山椒や七味をかけていただきますが、何もかけなくても十分、美味しいです。予想していたような泥臭さなど全くなく、あっさりしていて、いくらでも食べられます。 他にも「骨抜き鍋」や「柳川鍋」もありました。「骨抜き鍋」は、その名の通り、骨をとったドジョウの鍋で、ドジョウの下にゴボウが敷いてあって、ドジョウとゴボウのコラボレーションにネギのアクセントをつけた美味しさが味わえます。「柳川鍋」は、骨抜きのドジョウを卵でとじた鍋料理です。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → イズミリア 最高級ラタンのクラッチバック50%off PR |
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「牛タン(ぎゅうたん)」とは、牛の舌のことです。数十cmの長さがあり、薄切りないし、細切れで食用にされます。「タン」は、英語の「舌」を意味する「tongue」の音に由来していると言われています。
焼肉屋さんでも「牛タン」が出されますが、料理としての「牛タン」は、宮城県仙台市が有名です。仙台の牛タン専門店では、牛タン焼きに麦飯やテールスープをつけた牛タン定食が供されることが多いです。 仙台の牛タンは、店によって薄切りから厚切りまで様々ありますが、一般的な焼肉屋の牛タンと比べると厚く、しかも柔らかく焼いてあります。また、牛の舌の付け根付近は、生育法によっては霜降り状になるため、特別に「芯タン」、「トロタン」などと呼んで、一般の牛タンとは別メニューとして出されることが多いです。味付けは「タン塩」のほか、「味噌」や「からし味噌」といったタンの味噌漬けの焼肉もあります。 仙台では、牛タン焼き以外にもタンシチューや牛タンしゃぶしゃぶ(冬季限定)、生のままのタン刺しや牛タン寿司などを取り揃える店もあります。さらにお土産物用として、燻製や佃煮などもあります。 仙台の牛タンの発祥は、焼き鳥店「太助」の初代店主、佐野啓四郎と言われています。太平洋戦争後、仙台にもGHQが進駐しており、その際、駐留米軍は大量に牛肉を消費したものの、タンやテールは食べなかったため、残っていたそうです。これらを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」の初代店主、佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが「仙台牛タン」 の始まりだそうです。 佐野は、タンシチューから着想して、タンを薄い切り身にして塩焼きするという調理法を考案したそうです。佐野が牛タン焼きを発明しても、しばらくは、牛タン料理は市民に認知されなかったようです。もともと外食産業から生まれた料理であり、家庭で食べられることは殆どないため、当時は、一部の愛好者が食べる程度だったようです。 その後、高度経済成長期を迎え、他都市から仙台への転勤族や単身赴任者が増えると、外食する人が増え、昼食時や夜の街で仙台牛タン焼きの認知度があがっていったようです。さらに仙台に赴任していた人が東京に戻り、サラリーマンの間で仙台牛タン焼きが評判になっていき、全国的な認知度が上がっていったようです。 近年になって、牛タンが高蛋白質の割に脂肪が少ないことがマスメディアで紹介されるようになり、ヘルシー志向の人たちにも受け入れられ、さらに人気が高まっていったようです。その後、1991年に始まった牛肉輸入自由化によって安価な材料が入手できるようになり、それ以前は老舗業者しかなかった牛タン屋が、爆発的に増えたようです。 こんなに美味しそう! これが牛タンセットです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → 美容整形の先生に聞いてみよう 中高生のみなさんと一緒に考えていく生放送番組☆ウーカルTV |
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韓国語で「コプチャン」は「小腸」の意味です。したがって、「コプチャン」と言えば、牛や豚の小腸を焼いて食べるホルモン焼きのことです。通常は、「焼く」という意味の「グイ」という単語をつけて、コプチャングイと呼ばれています。
牛の場合は、「牛」を意味する「ソ」という単語をつけて「ソ・コプチャン」、豚の場合は、「豚」を意味する「テジ」とう単語をつけて「テジ・コプチャン」と言います。 コプチャンがいつ頃から食べられていたのか、はっきりした記録はないようですが、朝鮮半島では、仏教の伝来によって高麗時代(918~1392年)は公には肉食が禁じられていました。肉食が本格化していったのは朝鮮時代(1392~1910年)です。これは、国教が仏教から儒教に変わったことと、当時、支配的立場にあった“元”の肉食文化の影響を受けたからだと考えられています。 朝鮮時代の宮中料理には内臓料理が多数あり、コプチャンもこの当時から食べられていたのではないかと思われます。ただし、牛は農耕を手伝う役目、豚は祭祀用として捧げられるなど、肉は非常に高価な食材だったと思われます。庶民が普通に食べられるようになったのは、20世紀に入ってからだといわれています。 コプチャン専門店では、筒状の小腸をそのまま焼く場合と、食べやすい長さに切ってから焼く場合の2パターンがあります。焼く時も網、鉄板、アルミホイルをのせてその上で焼いたりと、いろいろなスタイルがあります。焼けたコプチャンには、専用のたれをつけて食べたり、サンチュなどの葉野菜で包んで食べます。お店によっては、唐辛子をベースにした辛い薬味だれで下味をつけておいてから焼く場合もあります。 小腸は、牛も豚も、内臓の中で特に脂の乗った部位であるため、食べると口の中で脂の味が広がり、濃厚な旨みを味わえるのが特徴です。韓国では、よく冷やした焼酎と相性が良い焼肉として好んで食べられています。また、内臓の焼肉は、カルビやロースよりも値段が安いため、気心の知れた仲間とワイワイ騒ぎながら食事をする時などに利用されることが多いようです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ぷるるん♪冷たい! お酒?! プチハイゼリーってなに? イズミリア 最高級ラタンのクラッチバック50%off |
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寿司は、世界中で有名な日本料理です。「寿司」、「すし」、「鮨」、「寿し」など、いろいろな表記がありますが、主に魚介類と酢飯を組み合わせた日本料理です。寿司には、酢飯の上に具材を載せて握った握り寿司の他に、ちらし寿司、押し寿司や巻き寿司など、色々な種類があります。
「すし」の語源は、江戸時代中期に貝原益軒が記した「日本釈名」(元禄12年(1699)成立、翌年刊行)や、新井白石が記した『東雅』(享保2年(1717)成立)に記載されている、「その味が酸っぱいから「酸し(すし)」である」とした説が有力とされています。 「すし」に関する記録は古くからあり、奈良時代の文献に載っているそうです。この頃のすしには、「鮓」という字が当てられ、魚貝類を塩漬けにして発酵させた料理を指していたようです。発酵させる事によって自然に酸味が生じて味が良くなり、保存も効くようになります。魚の漬物のようなもので、保存食として食べられていたようです。 この古代のすしは、熟成させるのに2~3ヶ月もかかっていたようです。その後、平安時代の頃、米を加えて熟成を早める方法が考えられ、甘酢で味付けした米飯に開いた生魚を載せて一晩寝かせたすしが作られるようになったようです。米飯を一緒に漬ける事で、米飯に含まれるデンプンなどの働きによって発酵が早くなり、味も良くなるという効果がありました。この頃は、米飯は発酵のためだけに用いられていて、食べるのは魚貝類の部分だけだったようです。 このような寿司は、現在でも近江地方に伝わる鮒ずし(ふなずし)、ハタハタの漬け込みずし、サバのイズシなどに受け継がれています。このように、魚介類に米を加えて乳酸発酵させた寿司は、「なれ鮨(なれずし)」と呼ばれています。 一方、にぎり寿司が生まれたのは、江戸時代末期(19世紀初め)頃の江戸のようです。握りずしの考案者は、両国の「與兵衛鮓(よへいずし)」の華屋與兵衛とも、安宅の「砂子鮨(いさごずし)」の堺屋松五郎とも言われており、明確な資料はないようです。しかし、文政12年(1829年)に発表された「柳多留」に「妖術という身で握るすしの飯」(1827年作句)という俳句が載っていることから、1827年には一般的に知られていたと考えられます。 與兵衛のひ孫、小泉清三郎「家庭鮓のつけかた」に、與兵衛の孫、文久子「またぬ青葉」の引用があり、その要約は「以前にも握りずしを試みた者はいたが、握った後に笹で仕切って箱に詰め数時間押しをかけるすしで、翁(初代與兵衛)は押しをかけることを嫌い、握ることのみで製する「握早漬」を創った」とのことだそうです。與兵衛が「握早漬(握りずし)」を売り出した年は、諸説ありますが、文政7年(1824年)頃だとされています。 一方の堺屋松五郎の方は、喜多村信節が文政13年(1830年)にまとめた随筆、「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」に「文化(1804~1817年)の初め頃、深川六軒ぼりに、松がすしが出来て、世上すしの風一変し」との記載があるそうです。この記述から、それまでの上方風のすし(なれずし)が中心だった寿司が、握りずしに「一変した」と読み取ることを根拠とするようです。 この「松が鮓(まつがすし)」は、松浦静山の随筆、「甲子夜話(かっしやわ)」(文政4年(1821年)~天保12年(1841年)まで)にも記載があるそうです。「近頃、大川の東、安宅に、松鮓と呼ぶ新製あり。松とは販(う)る人の名なり。此佳味、一時、最賞用す。この鮓の価、殊に貴く、その量、五寸の器、二重に盛て、橢金3円(小判3両)に換ふとぞ。これを制するもの、鮓、成て、これを試食し、その味、意に適はざれば、輙(すなわち)、棄てて顧みずと云。この如く貴価の品、今に行はるるも、亦、世風を観るべし」との記述で、「松が鮓(まつがすし)」が非常に高価な寿司であったとの記述です。このため先ほどの文献も、「早ずし(握りずし)に一変した」とは記述されていないことから、「普通に食べらていたすしが、高級料理として一変した」と読むこともできるようで、松五郎が握りずしを考案したかどうかは分からないようです。 この「松が鮓(まつがすし)」は、「松鮨」とも、「松之鮨(まつのずし)」とも言われたようですが、これは「安宅の松」と、主人の名、堺屋松五郎にちなんだ通称であって、本来の屋号は「砂子鮨(いさごずし)」なのだそうです。ただ、後に屋号の方も「松之鮨」と改めたとのことです。 このほかにも、江戸時代中期の延宝年間(1673~1680年)に江戸の四ツ谷に住んでいた幕府の御典医である松本善甫が握りずしの考案者だとする説などがありますが、いずれにしても、握りずしは文政年間(1818~1831年)には完成されていたようです。 この「握りずし」は、「なれずし」とは異なり、すぐに食べられる事から「はやずし」とも呼ばれ、江戸中で流行したようです。当時は、屋台料理として庶民に広まって行ったようです。また、このにぎり寿司は、東京湾(江戸の前)でとれる魚介、海苔を使うことから「江戸前寿司」と呼ばれるようになったようです。 この握りずしは江戸だけでなく全国に広がっていき、天保(1831~1845年)には、名古屋にも江戸風のすし店が開店したそうです。また、箱寿司が主体であった大坂でも、1892年(明治25年)には、ほとんどの店が握り寿司に変わったとの記録が残されているそうです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → アロエの化粧水で潤いのある若々しい素肌に 今すぐ30分間無料体験!ライブチャットマックスライブ |
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韓国語で「オッ」は「漆」、「タッ」は「鶏」の意味です。ですから、直訳すると「漆鶏」となります。この「オッタッ」は、触るとかぶれる漆の木のエキスが入ったスープで鶏を丸ごと煮込んだ韓国の料理です。
漆は、触るとかぶれますので、人によっては食道や胃がかぶれてしまうことがあるそうです。また、ひどい人は、湯気に当たるだけでも体中が痒くなるそうです。食べることが危険な料理と言えるかもしれません。 一応、かぶれるのを防止するための薬があるとのことで、料理を注文した後、お店の人が、その薬を持ってきてくれます。これが紫色の大きめの薬なのですが(全国で同じ薬なのかは、分かりません)、薬を飲んだ後に、すぐ、お酒を飲んで、食事をしてしまうのですが、本当に、そんなに早く効果が表れるのか、疑問です。ただ、私は今までに3~4回、食べているのですが、どこも痒くなった記憶がないので、十分な効果があるのかもしれません。 漆は、肝臓と胃に良いのだそうです。韓国では、昔は薬として使われていたそうです。美味しい上に、健康にも良いのであれば、毎月でも食べたいくらいですが、あまり頻繁に食べるのは良くないらしいです。何事も、過ぎたるは、なお、及ばざるが如し、ということでしょうか。 オッタには、鶏がまるまる1羽、入っています。そのスープは、真っ黒です。少し、漢方のような感じがしますが、いかにも健康に良さそうな味です。鶏肉も、柔らかく煮込まれて、素晴らしく美味しく仕上がっています。 鶏を食べ終わったら、残ったスープに御飯を入れて、おじやにして食べます。このおじやは、鶏とスープの旨みを吸って、非常に美味しくなります。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → 15日間無料でお試し 全ての写真を オンラインで管理しよう ●30 days Album PRO● このお尻&太もも・・・何とかしたい方に!!! |
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