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CATEGORY[富山]
コメント[ 0 ] 2018年09月08日22:24
 「富山ブラック」は、醤油をベースにした真っ黒なスープに粗挽き胡椒を大量にきかせた独特の塩辛さが特徴のラーメンです。富山市内で創業していた「大喜(たいき)」というお店が発祥で、その見た目と、富山市内で普及していたことから「富山ブラック」と呼ばれるようになったようです。
 もともとの「大喜」というお店は、終戦間もない1947年(昭和22年)に高橋氏が創業したそうです。(後に書きますが、「西町大喜(にしちょう たいき)」によると「高橋青幹(せいかん)」氏となっていますが、「大喜 根塚店」によると「高橋是康」氏とあり、何故、名前が違うのか、全く分かりません。)
 高橋氏は、当初、あっさりした醤油味のラーメンを作っていたようですが、富山大空襲で焼け野原となった街の復興に携わる労働者がドカ弁やおにぎりを持ち込んでラーメンをおかずに食べていたことから、彼らの塩分補給を目的として、どんどん味がどんどん濃くなっていったそうです。
 この「大喜」は2000年(平成12年)に廃業し、富山市柳町に本社がある有限会社プライムワンという会社が経営権を買い取り、店名を「西町大喜」に変えました。「西町大喜」の「西町本店」は、当時の店舗をそのまま使用しているそうです。プライムワンは、現在、富山市内で5店舗の「西町大喜」を運営しています。西町大喜のweb siteでは「創業昭和22年」と書かれていますが、本来、「2000年」とすべきでしょう。
 この「大喜」の創業者の高橋氏から直接、指導を受けて「富山ブラック」を提供しているお店が富山市内に2店舗あります。
 まずは 富山市根塚町にある「チャーシューラーメン 大喜 根塚店」です。「大喜 根塚店」の店主は高橋是康氏から直接、手ほどきを受け、長年の修行の後、正式に暖簾分けをされ、根塚町に店舗を構えて50年以上、ラーメン作りを行っているそうです。50年以上続いているということから、創業は1960年頃ということになります。メニューはチャーシューラーメンの大と小のみです。ただ現在では、創業当時とは味が変わっており、割と薄まった茶色いスープになっており、飲み干すこともできるようです。むしろ、基本を変えずに時代に合わせた味にできる、ということが本当の味を受け継いでいる証拠かもしれません。
 このお店が「大喜 根塚店」として存在していたことから、プライムワンが「大喜」の経営権を買い取った時、「大喜」とせず、「西町大喜」としたのでしょう。「大喜」のままだと、同じ系列の支店と間違われることもある上、場合によっては裁判沙汰になるかもしれませんので、仕方がなかったのでしょう。
 もう1店は、「大喜」創業者の高橋氏の最後の弟子にあたる人が店主として腕を振るうお店で、富山市奥田寿町にある「お食事処 喜八」です。お店によると「60年前からのブラックラーメンの味を守り続けているお店です。先代のブラックラーメンの創始者高橋氏の最後の弟子として独立してやっています。又、高橋氏の『時代に合わせてやれよ』を念願において、やっと少し出来てきたかな?と思っています。2ヶ月かけてようやく出来る熟成の醤油ダレが60年の味を今に伝えています。黒いスープに沈む独特の中太麺をすすりながら、白いご飯を食べるのが作法です。」ということです。高橋氏が「時代に合わせてやれよ」と言っていたなら、上述した「大喜 根塚店」のスープがブラックからブラウンになったことも高橋氏のアドバイス通りということになります。
 「お食事処 喜八」は「富山ブラック」を全国に知らしめたお店として有名だそうです。2007年に超人気グルメ漫画「美味しんぼ」の原作者、雁屋哲氏が開設したラーメンをテーマに評論家やグルメな会員たちが激論を交わすweb site「美味しんぼ塾」の企画「ラーメン会議プロジェクト」で郷土ラーメンの名店6店舗が選出されたのですが、その中に中部地区代表として入ったことから全国的に有名になったそうです。
 なお、昔の「大喜」の味を知っている人によると、昔の「大喜」の味を引き継いでいるお店は「大喜 根塚店」と「お食事処 喜八」の2店のみで、特に昔の味の再現に忠実なのは「喜八」のようです。しかし、現在の「喜八」の味は、塩分については昔の「大喜」に比べると、かなり控えめになっているようです。ただし、昔通りの濃さをリクエストするとやってくれるようです。
 「大喜」の創業者、高橋氏(故人)は謎の多い人物だったそうです。家族はなく、経営権譲渡に際してもレシピなどは残さず、「見て覚えろ」と突き放したそうです。また、マスコミ取材は多かったものの、写真、映像撮影はNGだったそうです。さらに、数年前に亡くなった時は遺影がないまま葬儀が行われたのだそうです。さらに食品メーカーから商品化の依頼がかなりあったそうですが、これらをすべて断っていたそうです。ただ、一番の謎は、「高橋是康」なのか、「高橋青幹(せいかん)」なのか、ということではないでしょうか。
 現在、「大喜」を原型とした濃い醤油味のスープのラーメンが「富山ブラック」と呼ばれ、富山市内で発展しています。お店によっては富山県外や海外にも進出しているようです。


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CATEGORY[富山]
コメント[ 0 ]TB[ ] 2011年01月09日17:14
 「マスの寿し」は、「ますのすし」、「マスずし」、「ます寿司」、「鱒の寿し」など、色々な呼び方をされている富山県の名産です。
鱒の寿しは、享保二年(1717年)、割烹の術に秀でた富山藩士吉村新八が三代藩主前田利興に献じた「鮎ずし」が始まりと言われています。前田利興は、これを大変気に入り、新八に鱒、鮎のすし漬役を命じ、これを時の将軍徳川吉宗公に献上したところ絶賛を頂き、富山の献上品として名物になったそうです。
新八が作った「鮎ずし」は、酒に漬けた鮎を酢飯の上に乗せたもので、現在の「ますのすし」に近いものだったようです。当時の寿しは、「なれずし」が一般的であったことから、魚介類と酢飯に強く重しをかけて一夜で馴らした「早ずし」の形態である「鮎ずし」は、非常に珍しい料理であったと思われます。その後、「鱒」を材料にした寿しも作られるようになり、これが現在の「ますのすし」の始まりになったと言われています。
富山市の西方を流れる神通川で生まれ、大海原で育ち、やがて産卵のため再び帰郷の川を遡るサクラマスと富山県産コシヒカリを用いた鱒の寿しは、緑の笹、淡い紅の鱒、白く光る米が織りなす美しい色彩と豊かな風味を持ち、正に富山の味の傑作と言えるのではないでしょうか。
鱒の寿しは、まず、鱒を三枚に開き、スライスします。1枚1枚スライスすることによって、魚の繊維が壊されず、旨味が増します。次に、笹を敷いた曲げわっぱにシャリを入れ、スライスした鱒を1枚1枚、パズルを組み合わせるように入れていきます。その後、わっぱを数段積み重ね、重石で押しを加えて仕上げます。これによって、鱒の旨味がシャリに染み込みます。最後に青竹で締め上げ、さらに押しが加わる状態にし、包装して出来上がりとなります。
鱒の寿しの消費期限は製造日を入れて3日程度です。鱒の寿しは生きているそうです。温度が高すぎるとべとべとしてきますし、逆に、冷蔵庫に入れたりするとシャリが固くなり、美味しくなくなってしまいます。買ったら、早めに食べるのが良いのですね。

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