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2024年05月16日20:37
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CATEGORY[香川]
コメント[ 0 ] 2019年05月02日15:58
 「まんばのけんちゃん」とは香川県の郷土料理です。人の愛称のような名前ですが、香川県では誰もが一度は食べたことがある「おふくろの味」なのだそうです。
 「まんば」とは、アブラナ科カラシナ類に属する「高菜(タカナ)」の一種です。漢字では「万葉」と書き、野菜の育ちにくい冬の時期に芽をふく冬の野菜です。万葉は、1つの株から80枚くらいの大きな葉が採れます。濃い紫色の混じった葉が大きく育つと、株ごと収穫せずに外側の大きな葉から手で一枚一枚収穫し、中央部の小さな葉は残しておくそうです。中央部の葉がまた大きくなったら、再び同じ要領で収穫します。一つの株から何回も収穫できるので「まんば(万葉)」と言われるようになったそうです。11月から4月頃までという長期間にわたって収穫することができます。
 「まんばのけんちゃん」とは、冬が旬の高菜の一種である「まんば」を下ゆでした後、約1日、水にさらして十分アクを抜いてから一口大に切ります。水気を軽く絞った後、一口大に切った豆腐、油揚げ、いりこなどを入れ、醤油、出汁汁と煮物にした料理です。
 「けんちゃん」とは、卓袱料理(しっぽくりょうり)の「野菜と豆腐を合わせて炒め煮」にした「けんちん」料理が訛ったものとされています。ただ、「まんばのけんちゃん」という呼び方は高松市を含む香川県東部の東讃地方の呼び名だそうです。場所によっては単に「まんばの炊いたん(まんばの煮物)」と言われることもあるようです。
 香川県西部の西讃地方では「万葉」のことを「百貫(ひゃっか)」と呼ぶそうです。このため、西讃地方では「まんばのけんちゃん」のことを「ひゃっか(百貫)の雪花」と呼ぶそうです。これは、崩した豆腐の形が、雪の花のように見えるということから、この名前がついたそうです。
 「万葉」は、様々な土壌に適応し、とても育てやすいことから、香川県全域で栽培されており、そのほとんどが県内で食べられている伝統野菜です。江戸時代に作られていた「讃岐高菜」が起源のようですが、現在ではその血統は途絶え、「三池高菜」が香川県全域で栽培されています。「讃岐高菜」は色が濃く、アクも強かったようですが、現在の「三池高菜」は、それほどアクも出ないそうです。
 万葉は、12月の収穫し始めの頃は、あまり美味しくないのだそうです。マンバは霜に遭うと葉先が紫色に変色します。2、3度、霜に当たると葉が柔らかくなり、甘みも増して美味しくなるそうです。



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かねふくの辛子明太子

蟹や海産物の厳選特産品専門店
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CATEGORY[香川]
コメント[ 0 ] 2018年10月14日22:35
 香川県の特産、名物のうどん料理です。2014年のタウンページに掲載されている「うどん店」の数は、香川県内では630軒あります。軒数では全国で14位(総数は24,030軒、1位は東京都(2,901軒)、2位は埼玉県(1,585軒)、3位は愛知県(1,416軒)、4位は大阪府(1,341軒)、5位は神奈川県(1,185軒))ですが、人口10万人あたりでは63.96軒となり全国1位です。(2位は群馬県(43.15軒)、3位は福井県(39.5軒)、4位は山梨県(36.84軒)、5位は栃木県(34.04軒))
 生めん類の表示に関する公正競争規約及び施行規則(1976年10月20日施行、2012年10月18日改正)によると、生麺類に「名産、特産、本場、名物」等を表示する場合は、以下の基準を満たしていることが必要です。
 香川県内にて製造されたもの
 手打ち、手打ち風のもの
 加水量:小麦粉総重量に対し約40%以上
 小麦粉総重量に対し3%以上
 熟成時間:4時間以上
 ゆで時間15分で十分α化していること
 讃岐うどんの歴史は、讃岐が生んだ弘法大師空海が、中国から持ち帰ったのが始まりと伝えられています。空海は延暦804年、31歳の時、入唐し、1年あまり長安に滞在し、806年に帰国しました。その時、いろいろなものを持ち帰ったのですが、その中に「うどんの製法」、「小麦」、「唐菓子」などがあったとされています。
 香川県中部を北流する綾川流域の滝宮(綾南町)に空海の甥にあたる智泉大徳という僧がいて、空海が智泉に唐の麺の作り方を教えたとされています。智泉は、覚えて帰り、両親に御馳走したと伝えられているそうです。
 讃岐での小麦作りは、5~6世紀頃に朝鮮半島から秦氏(はたうじ)によってもたらされた焼畑、定畑の技術と共に発展した可能性があるそうです。秦人が多く住んでいた地方は大和、山城、河内、摂津、和泉、近江、美濃、若狭、讃岐、伊予などであったとされており、当時から香川と愛媛地域は大陸からの先進的な畑作技術の導入や、種子が持ち込まれた可能性があるそうです。
 また讃岐地方は小作地が多く、降雨量も少ないことから干ばつに悩まされていました。水田で米を作ることが難しい土地であったことから米の代用食として麦の生産が増えていったことは想像に難くありません。
 綾川は土器川に比べて川幅が狭く、川底が花崗岩でできていて水量が豊富だったことから、ここに水車を設置して製粉することができたそうです。さらに古代から塩の産地であり製塩が盛んであったこと、品質の良い「いりこ」が多く取れたこと、小豆島は江戸時代から有数の醤油生産地であったことなど、「うどん作り」に適した地であったことから、うどんが広まったものと考えられます。
 886年(仁和2年)、讃岐の龍燈院(現在の香川県綾歌郡綾川町)のすぐ横を流れる綾川に実在した水車(寺車)の記録があるそうです。龍燈院は、行基、空海などの日本で最高位レベルの大師が開祖した寺院であることから、唐に学んだ儀典に因んで小麦など穀物を挽き、寺院の斎食や供養の食事等に使っていた可能性があるようです。また、平城宮址から発掘された木簡には「讃岐国」及び「秦」の名を記したものが10点近くあり、平城宮に穀物を献上するほどの農耕技術と生産体制を持っていたことが分かります。
 元禄年間(1688~1704)に、絵師の狩野清信が「金毘羅祭礼図屏風」という屏風絵を描きました。これは「金毘羅様」で知られる金刀比羅宮の例大祭の様子を描いたものですが、門前町の庶民の様子がいきいきと描かれる中に、3軒の「うどん屋」があります。上半身を脱いで粉をこねている人、粉を麺棒で延ばしている人、そして包丁で切っている人がありありと描かれており、当時、すでにうどん屋という商売があったことが分かります。
 ただ、昭和20年代までの讃岐うどんは、現在のように知名度はなかったようです。讃岐うどんは、店で出されるうどんとしてよりも、家庭料理の1つとして食卓に上がることの方が多かったようです。讃岐地方では、冠婚葬祭などの年中行事には、家庭でうどんが出されるそうです。大晦日も、讃岐では蕎麦でなく、うどんで年を越すのが通例だったそうです。
 戦後、香川県内に「ご飯もの以外にうどんも出す」という営業形態をとる食堂が多くなったようです。うどんを提供する店は、一時期は3000店以上もあったそうです。
 昭和30年代になって、うどんをメインで提供するうどん専門店が現れるようになったようです。1963年(昭和38年)には、四国への玄関口である高松駅の構内に立ち食いうどん店が開業しました。これが讃岐うどんブームのきっかけの1つとなったと言われているそうです。
 その後、1970年の大阪万博や、それ以降のテレビの紹介などによって知名度が高まっていきました。2002年以降、首都圏にセルフうどん店がチェーン展開するようになり、ブームになっています。
 香川県のうどん屋さんは、大きく分けて2種類あります。1つは、ごく一般的なお店とセルフスタイルのお店です。一般的なお店は、お店にはいって席について、メニューから料理を選ぶ形ですが、セルフスタイルは店によって形式が異なります。基本的にはカウンターで店員さんに、うどんの種類(かけ、釜あげ、ぶっかけなど)、麺の「玉」の数(あるいは大、中、小など)を選びます。麺を受け取ったら、自分で具(各種天ぷら、揚げ物など)を取って会計します。会計の後に薬味(ネギ・ショウガ・ゴマなど)をかけて完成です。お店によっては麺を自分でゆがいたり、ダシを自分でかけたり、いろいろなパターンがあります。


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CATEGORY[香川]
コメント[ 0 ] 2017年03月20日10:48
 しょうゆ豆は、香川県の伝統的な郷土料理です。外見は黒豆のような大きさ、色をしているので煮豆だと思いますが、煮豆と違って歯ごたえがあります。また、醤油に漬け込んでいるため、甘くはありません。軽く噛むと口の中でポロッとくだける歯ごたえが楽しめます。予想外の不思議な食感です。
 天日干しして乾燥させたそら豆を焙烙に入れ、皮に焦げ目がつくまで炒った後、砂糖、醤油、みりん、唐辛子を合わせた調味タレに一晩、漬けると完成です。
 しょうゆ豆の発祥には諸説があり、はっきりしないようです。弘法大師空海にからめた説としては、空海が四国、八十八ケ所を巡礼中に、ある所で炒っていたソラ豆がはじけて、横にあった醤油桶の中に入ってしまったのだが、そこに通り合わせた空海が、それを食したところ美味であったので醤油豆の作り方を広めた、というものがあるそうです。
 さらに八十八ケ所参りにからめて、各寺を巡っていたお遍路さんを接待しようと、あるお婆さんが焙烙でソラマメを煎っていたところ、たまたま近くに置いてあった醤油の壷の中に飛び込んでしまった。しばらくして、お婆さんが何気なく、それをつまんで口に入れたら、意外に柔らかく、しみ込んだ醤油の味が美味しかったので、これが広まったという説もあるそうです。
 讃岐でしょうゆ豆を作り始めたのは、藩政時代からで、文禄年間(1592~1596年)に醤油の醸造を始めた小豆島が発祥の地であるという説もあるそうです。
 その小豆島で醤油の製造が始まったのは、天正末~文禄初年頃(1592年~1594年頃)と言われているそうです。天正19年(1591年)の春、大阪城を建設していた頃、紀州湯浅の赤桐家が太閣秀吉に醤油と米を献上し「天下一の調味料」と激賞されたそうです。この時、小豆島では全島に渡って、大阪城築城の石材を切り出していたそうです。大阪城で築城している際、小豆島の人が紀州湯浅の醤油に興味を持って、湯浅で製造方法を教えてもらったのだそうです。そして天正末年~文禄初年頃には醤油が造られ始めたと言われているそうです。
 これは史実ですから、空海説は完全な後付けだと思われます。江戸時代には八十八カ所の巡拝として四国遍路が定着し、大衆化していたようですから、お遍路さんにからめた説を否定する証拠はないようです。
 また、香川県は蚕豆の生産量が多いのだそうです。香川県農業生産流通課によると、ソラマメはいわゆる新豆と呼ばれ、塩茹でして食べられる未成熟ソラマメと、爪の部分が黒くなるまで熟れた成熟ソラマメの2種類に分類されます。干してしょうゆ豆に使うのは後者の成熟蚕豆です。
 しょうゆ豆は皮ごと食べるため、皮に含まれている豊富な食物繊維を摂ることができます。また、そら豆はピーナッツや大豆に比べて低脂肪であり、ヘルシーな食材です。
 しょうゆ豆は、あっさりとした豆の風味と素朴な味付けで飽きのこない一品です。となっています。御飯のおかずにもあうし、お酒のつまみにもぴったりです。
 現在では土産物として空港や駅の売店でも売られています。香川県以外では食べることができないしょうゆ豆、是非、一度、ご賞味ください。


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CATEGORY[香川]
コメント[ 0 ] 2016年07月16日22:18
 骨付鳥(ほねつきどり)は、鶏の骨付きモモ肉を焼いた香川県丸亀市のご当地グルメです。塩、コショウとニンニクで下味付けした鶏モモ肉をオーブン窯で焼いた料理です。1952年(昭和27年)10月24日に丸亀市通町にて創業した居酒屋「一鶴」の創業者である近藤定市、田鶴子夫妻が、ハリウッド映画に出てきたローストチキンをヒントに試行錯誤をして1953年(昭和28年)から売り出した料理です。60年以上の時を経て、丸亀市では単なるご当地グルメではなく、地元の伝統料理として認識されているようです。
 窯で蒸し焼きにした骨付鳥は、皮がパリッと香ばしく、かぶりつくと肉汁があふれ出ます。見た目にも重量感がある料理で、骨を持ってかぶりついて食べる贅沢感とスパイシーな味が評判になったそうです。
 この骨付鳥には親どり(通称、おや)と雛どり(通称、ひな)の2種類があります。「おや」は、肉質が少し固く、しかっりとした歯ごたえが特徴的です。噛み応えがあり、噛むほどに鶏肉の味を味わうことができ、通好みといわれています。一方の「ひな」は肉質が柔らかく、ふっくらとしたお肉の柔らかさを楽しむことができます。
 また、骨付鳥には、生のキャベツが付け合せとして出されます。このキャベツは、お皿に焼き落ちた肉汁をつけて食べるのだそうです。また、この肉汁は、おにぎりにつけて食べるのも良いそうです。
 この骨付鳥の美味しさが評判となり、献立に取り入れる店が増え、現在では丸亀市内で20軒余り、香川県内全体では80軒以上もの店があるそうです。お店の形態も、骨付鳥の専門店のほか、メニューの一つとして骨付鳥を出す居酒屋や焼き鳥店などがあります。
 このように店の数が増えたのは、香川県が全国屈指の養鶏県であったことも一因のようです。各店それぞれ、味付けや焼き方に特徴があるので、食べ比べするのも楽しいと思います。ただし、骨付鳥は、各お店が焼きたてを提供するのにこだわるため、注文してから少し(最低でも10分以上)、時間がかかるのが特徴です。このため骨付鳥を食べる場合は、最初に注文しておくことが重要です。
 骨付鳥発祥の「一鶴」は1988年には丸亀市外への初出店として高松市鍛冶屋町に高松店をオープンしました。その後、2001年には県外進出の第一歩として横浜駅西口に店舗を展開、2006年には大阪に心斎橋店を、さらに2008年には大阪に西梅田店をオープンしました。この店舗展開によって、香川県の名物の1つとして知名度が高まっていきました。
 丸亀市では、この骨付鳥をご当地グルメとして全国に広める活動を行うようになりました。2005年(平成17年、酉年)には丸亀市商工観光課が、丸亀名物の骨付鳥のお店を紹介したマップ「骨付鳥をもっと極める」を作成しました。当時、丸亀市内には骨付鳥の店が21店舗あり、全ての店が紹介されています。
 現在では、丸亀市産業振興課が骨付鳥のマスコットキャラクター「とり奉行 骨付じゅうじゅう」というものを創り、骨付鳥のPRをしています。また、公式ガイドブック「骨付鳥大百科」を作成し、観光案内所などで配布しています。


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