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「あんかけスパゲッティ」とは「あんかけスパ」とも言われ、軽く炒めた太目の麺に、少しスパイシーなソースがかかったスパゲッティです。あんかけスパゲッティは、1960年代に愛知県名古屋市で登場したスパゲッティ料理です。イタリアンのパスタとは全く別の食べ物です。茹でたスパゲティにソースを和えるイタリアのパスタとは異なり、あらかじめ茹で置きしておいた太いスパゲッティを、焼きそばのように、ラードや植物油で炒め、中華料理の餡のような粘性とコクのある辛味の効いたソースをかけた料理です。この辛味の元は、胡椒をたっぷりと使うためですが、味のベースはトマト味です。
あんかけスパは、名古屋市中区栄にある「そ〜れ」というお店で山岡博氏が生み出した料理だそうです。
「そ〜れ」は、山岡博氏が親せきと共同経営で1961年に開業したお店です。山岡博(横井博)氏(当時28歳)は、1959年(昭和34年)頃、丸栄ホテル(現:名古屋国際ホテル)で洋食の調理人として働いていたそうです。山岡(横井)氏は、当時、独立を目指して、いろいろな味の工夫に励んでいたそうです。
そして1961年(昭和36年)に親戚と共同出資で、名古屋市東新町に「そーれ」というお店を開業しました。この店で山岡(横井)氏は、イタリア家庭料理のミートソースを名古屋の人たちの好みに合うように改良したソースを作って、麺にかけて提供したところ、好評を博し、次第に広がっていったようです。
その後、1963年(昭和38年)に横井博氏(山岡博氏)が独立し、「スパゲッティ・ハウス ヨコイ」を立ち上げました。現在では、「そ〜れ」があんかけスパ発祥の店として知られています。ただ、当時は「あんかけスパ」という名称ではなく、「オリジナルミートソース」と呼ばれていたようです。
「あんかけスパ」という名称は、1979年に名古屋の千種区本山に開業した「からめ亭」の店主だそうです。名古屋名物の「あんかけうどん」を見た「からめ亭」の店主、志智均氏が「あんかけスパゲッティ」と命名し、テレビ番組で発表したことから広まったようです。このため、「からめ亭」のHPには、「あんかけスパゲティー名づけ親」と書かれています。「あんかけスパ」という名称が広まっていったのは、1980年代のようです。
あんかけスパは、普通のスパゲッティとは異なる点が多々、あります。いくつかの点を下記にまとめます。
1. 麺
麺は、2.2mmという極太の麺が主流です。初めて食べた時、あまりの太さにびっくりしました。あんかけスパを生み出した山岡博(横井博)氏は、オリジナルのミートソースに合う麺として業者に2.2mmを作るよう依頼したそうです。茹でた後にラードで軽く炒めるため、麺が細いと切れてしまうので太い麺を選定したそうです。軽く炒める事によってソースの絡みを良くするそうです。
また普通盛りだけでなく、1.2倍、1.5倍、2倍など、麺量を増やした注文ができることも特徴の1つです。(それぞれの実際の量や値段は見せによってまちまちです。)
関東では、この太さのスパゲッティの麺は販売されていません。最大でも1.8mmくらいではないでしょうか。しかし、驚くことに名古屋市内のスーパーマーケットでは、ごく当たり前のように2.2mmの太さのスパゲッティが販売されていました。
2. ソース
ソースは、各店、オリジナルのものになっていますので同じではないでしょう。ただ、ある程度の粘度があり、味はトマトベースのミートソースのような感じで、比較的スパイシーなことが多いようです。麺にからむようにとろみがついています。
3. 具
ネーミングが独特です。肉(ウインナー、ハム、ベーコンなど)がメインの場合は「ミラネーゼ」あるいは「ミラネーズ」と呼ばれます。玉ネギ、ピーマン、トマト、マッシュルームなどの野菜類がメインの場合は「カントリー」と呼ばれます。肉と野菜の両方盛りは「ミラカン」(「ミラネーゼ」と「カントリー」のミックス)と呼ばれます。
さらに魚介類のフライをトッピングしたものは「バイキング」と呼ばれています。これらのネーミングは名古屋独特のものだと思います。
また、これら意外にもエビフライ、唐揚げ、ピカタ、オムレツ、ハンバーグなど、様々な種類の具をトッピングできることもあんかけスパの特徴だと言えます。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 【カラーミーショップ】なら、出店料無料のショッピングモール【カラメル】に出店できる! WordPress・MTOS簡単インストール機能対応!レンタルサーバー『ヘテムル』 PR |
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台湾には2001年から、毎年、何回も行っていましたが、数年前、日本にいる時に初めて聞いた名前の料理が、「台湾ラーメン」でした。台湾では「台湾ラーメン」なる料理は聞いたことがありません。まあ、「ラーメン」自体が日本の料理ですから、台湾にオリジナルのラーメンなるものはありません。「台湾風ラーメン」なのかと思ったのですが、四川風は分かりますが、「台湾風」とは、一体、何を指しているのか、分かりません。
疑問に思っているうちに、いろいろな中華料理店で「台湾ラーメン」なる料理が出されるようになり、やっと食べる機会に恵まれたのですが、食べてみても、一体何が「台湾」なのか、理解できません。何箇所かで食べてみましたが、いわゆる「坦々麺」に似たようなラーメンで、「辛口」と書いてあるものの、辛い料理が大好きな私には対して辛くないラーメンばかりでした。
いろいろ調べてみると、どうやら名古屋で生まれたラーメンのようです。麺の上に炒めた挽肉とニラを乗せ、鶏ガラスープに、たっぷりの唐辛子が入っているのが、基本的な台湾ラーメンのスタイルのようです。
中日新聞の2000年3月16日の記事によると、台湾ラーメンの元祖は、名古屋市千種区今池一の中国台湾料理店「味仙」だといわれているそうです。1970年頃、台湾出身で同店の主人である郭明優さん(60)が、台湾の台南名物である担仔麺をもとに、これを激辛にアレンジして作ったのが発祥だそうです。
もともとは、従業員のまかない用に作った料理だったそうです。それを見つけた常連のお客さんが、「おいしそうだな。食べさせてくれ。」と頼みこみ、評判が良かったため、メニューに加えることになったそうです。名前は「台湾人が作ったから、台湾ラーメンでいいか」と、軽い気持ちでつけたのだそうです。
現在、お店を切り盛りする三代目の郭幸治さん曰く、「最初からお客さん向けに開発したメニューだったら、もっとカッコいい名前を考えたはずなんですけど。」とのことで、これだけのブームになるとは思っていなかったため、料理名が適当だった、とのことです。
当初は、「味仙」の一部の客の間だけの人気メニューだったそうですが、1980年代後半、日本中で激辛料理ブームが起きた時、「辛い食べ物にはやせる効果がある」とか、「スタミナが付く」などといった触れ込みなどの影響で、人気メニューになっていったようです。
当然のことながら、どこかの店で人気メニューが生まれれば、他の店でも便乗するのが商売の常ということで、当時、名古屋市内の多くのラーメン店でも、同じ「台湾ラーメン」という名称で、様々なメニューが生まれたそうです。このため、名古屋では「激辛ラーメン=台湾ラーメン」いう図式ができあがってしまったそうです。
当時、愛知県中華料理環境衛生同業組合の調査によると、名古屋市内に約380あるとされるラーメン専門店のうち、200店以上で「台湾ラーメン」という料理が出されていたそうです。全国規模のチェーン店であっても、名古屋地区では、特別にメニューに加えているほどだそうです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 131種類の野菜・果物・植物をまるごと凝縮! 日本盛 植物生まれの酵素 ギフトに人気のアロマディフューザーランキング |
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天むす(てんむす)とは塩味を効かせた海老の天ぷらを具にしたおにぎりです。名古屋の名物なのかと思っていましたが、三重県の発祥なのだそうです。
1957年頃、三重県津市大門にある天ぷら定食店「千寿」の賄い料理として考案されたようです。この「千寿」では、天むすを「めいふつ天むす」として商標登録しているそうです。「千寿」のパンフレットによると、1950年代の初め、初代、水谷ヨネが忙しくて昼食を作る暇もなかったため、夫のために車えびの天ぷらを切って、おむすびの中に入れたのが始まりだそうです。現在、「千寿」は天むす専門店となっているそうです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 自分は知らない自分の臭い |
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“ういろう”とは、名古屋名物のお菓子として有名ですが、もともとは薬なのだそうです。神奈川県小田原市の株式会社ういろうで、現在も製造、販売されています。この会社のHPによると、「ういろう」は、陳宗敬という元(げん)の役人に由来するそうです。14世紀、元が明に滅ぼされ、日本に逃げてきた時、日本名として「陳外郎(ちん・ういろう)」と名乗ったそうです。これは、元の役職が礼部員外郎(れいぶいんがいろう)だったことから取ったそうです。この外郎が、王の被る冠にまとわりつく汗臭さを打ち消すために作った薬が、透頂香(とんちんこう)で、これが「ういろう」として販売され、有名だったようです。
また、外郎が来客をもてなすための菓子として考案したのが、お菓子のういろうだそうです。いずれも、小田原の薬売り(外郎売り)が、全国に売り歩き、有名になっていったようです。 外郎は、米粉と砂糖を練り合わせた蒸し菓子です。羊羹に似ていますが、ヨウカンは小豆、砂糖と寒天が原料ですので、味、舌ざわりなどが大きく異なります。 名古屋で広まったのは、その重さだそうです。手土産として持っていく時、羊羹1本よりも外郎1本の方がずっしりと重いので、有難味が増すのだそうです。それが見栄を張りたい名古屋人のニーズに合って、普及していったようです。現在では名古屋以外にも、伊勢、山口、徳山などでういろうが作られ、売られているようです。何故、これらの地域だけなのか、謎ですね。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() コシヒカリを超えるお米『夢ごこち』 |
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