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しょうゆ豆は、香川県の伝統的な郷土料理です。外見は黒豆のような大きさ、色をしているので煮豆だと思いますが、煮豆と違って歯ごたえがあります。また、醤油に漬け込んでいるため、甘くはありません。軽く噛むと口の中でポロッとくだける歯ごたえが楽しめます。予想外の不思議な食感です。
天日干しして乾燥させたそら豆を焙烙に入れ、皮に焦げ目がつくまで炒った後、砂糖、醤油、みりん、唐辛子を合わせた調味タレに一晩、漬けると完成です。
しょうゆ豆の発祥には諸説があり、はっきりしないようです。弘法大師空海にからめた説としては、空海が四国、八十八ケ所を巡礼中に、ある所で炒っていたソラ豆がはじけて、横にあった醤油桶の中に入ってしまったのだが、そこに通り合わせた空海が、それを食したところ美味であったので醤油豆の作り方を広めた、というものがあるそうです。
さらに八十八ケ所参りにからめて、各寺を巡っていたお遍路さんを接待しようと、あるお婆さんが焙烙でソラマメを煎っていたところ、たまたま近くに置いてあった醤油の壷の中に飛び込んでしまった。しばらくして、お婆さんが何気なく、それをつまんで口に入れたら、意外に柔らかく、しみ込んだ醤油の味が美味しかったので、これが広まったという説もあるそうです。
讃岐でしょうゆ豆を作り始めたのは、藩政時代からで、文禄年間(1592~1596年)に醤油の醸造を始めた小豆島が発祥の地であるという説もあるそうです。
その小豆島で醤油の製造が始まったのは、天正末~文禄初年頃(1592年~1594年頃)と言われているそうです。天正19年(1591年)の春、大阪城を建設していた頃、紀州湯浅の赤桐家が太閣秀吉に醤油と米を献上し「天下一の調味料」と激賞されたそうです。この時、小豆島では全島に渡って、大阪城築城の石材を切り出していたそうです。大阪城で築城している際、小豆島の人が紀州湯浅の醤油に興味を持って、湯浅で製造方法を教えてもらったのだそうです。そして天正末年~文禄初年頃には醤油が造られ始めたと言われているそうです。
これは史実ですから、空海説は完全な後付けだと思われます。江戸時代には八十八カ所の巡拝として四国遍路が定着し、大衆化していたようですから、お遍路さんにからめた説を否定する証拠はないようです。
また、香川県は蚕豆の生産量が多いのだそうです。香川県農業生産流通課によると、ソラマメはいわゆる新豆と呼ばれ、塩茹でして食べられる未成熟ソラマメと、爪の部分が黒くなるまで熟れた成熟ソラマメの2種類に分類されます。干してしょうゆ豆に使うのは後者の成熟蚕豆です。
しょうゆ豆は皮ごと食べるため、皮に含まれている豊富な食物繊維を摂ることができます。また、そら豆はピーナッツや大豆に比べて低脂肪であり、ヘルシーな食材です。
しょうゆ豆は、あっさりとした豆の風味と素朴な味付けで飽きのこない一品です。となっています。御飯のおかずにもあうし、お酒のつまみにもぴったりです。
現在では土産物として空港や駅の売店でも売られています。香川県以外では食べることができないしょうゆ豆、是非、一度、ご賞味ください。
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