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具にキムチを入れたジョンです。「ジョン」とは「魚介、肉、野菜などを、小麦粉を水で溶いたものと一緒に焼いた料理」で、日本のお好み焼きに似た料理です。日本では、一般的に「チヂミ」という名称で知られているようですが、韓国では「ジョン」と呼ばれています。日本式では、「キムチ・チヂミ」という名称になるでしょう。ザク切りにした白菜キムチ、豚肉、ネギなど具として使ったジョンです。生地がキムチのオレンジ色に染まっているのが特徴的です。
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私の実家付近では、「今川焼き」とか、「大判焼き」と言う名称で呼ばれていたと記憶しています。一般的に、小麦粉、卵、砂糖を水で溶いて作った生地を円形のくぼみのある鉄または銅製の焼き型に流し込んで餡を乗せ、その上にさらに生地を流し入れるか、別の型で焼いておいた同型の生地を乗せて、高さの低い円筒形に焼いた和菓子です。
生地に挟まれる餡は、小豆あんが主流ですが、最近では、色々な種類が餡があるようです。例えば、白アン、カスタードクリーム、ポテマヨ(ポテトとマヨネーズ)、ラザニアなどです。台湾では、車輪餅、紅豆餅、太鼓饅頭などの名で販売されているそうで、タロイモ、ゴマ餡とピーナツ、キャベツ炒めやカレーなどの具を入れた商品もあるそうです。 形状は、小判型や丸型が一般的ですが、「ぱんじゅう」のようにたこ焼きに似た半球の丸い形状と釣鐘状のものもある。さらに言えば、外観(焼き型)を変えたものがタイ焼きであり、どこからどこまでが「おやき」なのか、区別は難しいと思われます。 今回、調べてみたところ、日本全国で様々な名前で呼ばれているようです。単純に「おやき」と言う所もあれば、大判焼き、小判焼き、二重焼き、回転焼きという名称もあるそうです。分かった範囲をまとめると次のようになりました。 あじまん(山形市)、甘太郎焼、今川焼き、大判焼き、おばんやき(青森)、おやき(北海道、青森市、弘前市など)、回転焼き(奈良、大阪)、回転饅頭(大阪市、堺市)、画廊まんじゅう(静岡市清水区)、義士焼き、御座候(姫路市ほか)、御座候(兵庫、埼玉)、小判焼き、七越焼き(富山市)、志゙まんやき(じまんやき)、人工衛星饅頭、太閤焼き、太鼓まん、太鼓饅頭(高知市)、太鼓焼き、花見焼き(埼玉県蕨市)、ぱんじゅう(小樽)、びっくり饅頭(広島県呉市)、蜂楽饅頭(熊本県)、豊楽饅頭(福岡)、夫婦まんじゅう、などです。 この他にも、JRAの競馬場内で販売している「G1焼き」など、発売場所のイベントや祭りに関連した名称を付けている場合もあるようです。 「今川焼」という名称は東京、「大判焼き」は愛知や大阪で呼ばれているようです。静岡市は、両方の文化が入り混じって、両方の名称があったのでしょうか。 「今川焼き」の名称は、江戸時代中期の安永年間に、江戸の神田に今川橋という橋に由来するようです。当時の地元町人の代表であった名主、今川善右衛門の姓から「今川橋」と名付けられた橋は、昭和25年に竜閑川の埋め立てと同時に解体され、現在ではありません。江戸時代、今川橋付近の店で、このような焼き菓子が売り出されたことから「今川焼き」と呼ばれたようです。 ただ、この今川焼きが全国に広がっていったと考えると、名称の多さ、形状、種類の多さが説明できません。今川焼きを食べたり、見た人が真似をして作っていったようにも思えますし、同時期に、似たようなお菓子が発生したとしても不思議ではありません。多分、ルーツを探すのは難しいのでしょうね。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 年間580円からの格安ドメイン取得サービス─ムームードメイン─ 1890円~100GBの大容量。無制限レンタルサーバー【X2】 |
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ガイヤーンは、代表的なイサーン料理の1つです。「ガイ」は「鶏」、「ヤーン」は「焼く」という意味のタイ語です。すなわち、「焼き鳥」です。「焼き鳥」と言っても、日本の串に刺したような小ぶりの「焼き鳥」ではありません。「ヤーン」は、「大きめの食材をじっくり焼く」ことを言いますので、鶏を丸ごと炭火焼きにした料理が、「ガイヤーン」です。
イサーン地方では、通常、焼き物料理には、炭火を使いますので、単に「焼き鳥」というよりも、「鶏の炭火焼」と言った方が、より正確でしょう。
また、焼く前の鶏は、野菜、香辛料、砂糖、ナムプラーなど、様々な調味料が入った汁の中に漬け込みます。通常は丸1日以上、じっくりと漬け込むので、鶏肉の中にまで漬け汁の味が浸み込みます。この鶏肉を炭火でゆっくり焼き上げた料理がガイヤーンです。皮はカリッとして香ばしく、肉は柔らかく、また浸け汁と鶏肉の旨みが重なって、深みのある味わいになります。
一般的に、漬け汁はレモングラス、香草(パクチー)、ココナッツミルク、砂糖、複数のソース(シーユー・カオ、シーユー・ダム、ナム・マン・ホイと呼ばれるもの)を混ぜあわせたものを使うそうです。店によって秘伝のタレというものがあるのだと思います。
屋台では、部位ごとに一口大に切った鶏肉を串焼きにして、1本5~10バーツくらいで売っていたりします。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() Jugem Cart - 月額たった9ドルの海外販売用ネットショップ開業サービス 驚きの大容量100GB・マルチドメイン無制限の高機能サーバーが月額945円~! |
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伊府麺(イーフー麺)という麺があります。中華街に行くと、揚げた状態で5個1袋で売っています。皆さんも、一度は見たことがあるかもしれません。しかし、それを買って帰ろうと思う人は、あまりいないのではないでしょうか。何故なら、どうやって食べれば良いのか、分からないのですから。
この伊府麺ですが、「伊」は人の名前で、「府」は「家」という意味だそうです。すなわち、「伊府麺」とは「伊さん家の麺」という意味だそうです。
もともと、中国、清の乾隆帝時代に進士(科挙の合格者)となった伊秉綬(いへいじゅ:1754~1815年、書家)の屋敷(中国語で「府」)の厨房で開発されたそうです。伊秉綬は、乾隆54年(1789年)に進士となり(科挙に合格し)、刑部主事を授けられ、広東省恵州や揚州の知府(地方政府の長官)を歴任したそうです。このため、伊府麺は広東省が発祥とされています。
「伊府麺」の発祥には、こんな話があるようです。伊乗綬は、驕らない性格で、地元の人に 人気があったようです。また、麺料理が好きだったようです。ある時、近所の人達から大量の「烏龍麺(うどん)」をプレゼントされたそうです。家族だけでは食べられない量だったため、茹でて調理したものを近所の人達に御馳走したそうです。その中で、湯に入れるべき麺を間違って油の中に入れて、揚げてしまったそうです。もったいないからと食べてみたら、揚げた麺も美味しかったことから、その後、改良を加えられ、現在の「伊府麺」になったということです。
伊府麺は、小麦粉と鶏卵だけで麺を打ち(水を使わない)、一度、茹でてから、冷水で冷やし、さらに火であぶって乾燥させてから揚げた麺です。食べる前には、再度、茹でて、戻して食べる特殊な製法の麺です。一度、揚げてあるため、多少、長持ちするのだそうです。このため、インスタントラーメンの原型とも言われています。
揚げるといっても、焼きそばのように色づかせ、固く揚げるのではなく、低めの温度で揚げます。また、食べる時には汁に浸しているため、独特のくたっとした感触があります。普通の麺のようには伸びませんし、つるつるシコシコとした食感ではなく、プツンプツンとちぎれるような噛みごたえです。広東省では、雲呑麺に使われることが多いようです。
「伊府麺」は香港や台湾でも、日常的に食べられています。なお、台湾では「伊府麺」のことを「意麺」と呼びます。台湾の「意麺」は、台南県塩水鎮が発祥と言われています。タウナギを具にしたものや、鍋焼きにしたものが台南の名物となっています。
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韓国には「クルビ」という魚の干物があります。日本では「イシモチ」と呼んでいる魚の干物です。日本では「イシモチ」は高級魚ではありませんが、韓国で「クルビ」は超がつく高級食品です。クルビグイは、そのイシモチの干物を焼いた料理です。
イシモチは、韓国語で「チョギ」と言います。このチョギを塩漬けして、数ヶ月間、天日で干したものをクルビと言います。この干物を焼いたものが、「クルビグイ(クルビ焼き)」です。 クルビは、全羅南道霊光郡(ヨングァングン)法聖浦(ポプソンポ)が有名です。これは、東シナ海域で越冬したイシモチが、解氷期になると産卵するために延坪島に北上する途中、霊光の法聖浦の近海である七山沖で4月 10日から30日の間に産卵するため、ここで獲れるイシモチは卵が入って味がよいのだそうです。 このチョギの干物が、「クルビ」という名前で呼ばれるようになったのは、高麗時代(918~1392)にまで遡るのだそうです。 高官で名門貴族の李資謙(イ・ジャギョム)は、自身の次女を高麗第16代王、睿宗(イェジョン:在位:1105年~1122年)に嫁がせました。1122年に睿宗が亡くなると、李資謙は王位を狙うライバルを退け、自分の娘が生んだ睿宗の子の仁宗(インジョン:在位:1122年~ 1146年)を14歳で即位させ、権力を握りました。更に自身の三女、四女を仁宗王に嫁がせたのです。これによって、仁宗は二人の伯母を妻にし、李資謙は王の外祖父になると同時に義父になったのです。 李資謙はこれに満足することなく、自身の誕生日を「仁寿節(インスジョル)」と呼ばせ、国を挙げて祝わせました。当時、王の誕生日を「節」と呼んで祝わせたことから、これは王に等しい扱いをするよう命じたということです。 さらに驕慢になった李資謙が自ら王になろうとする野心を抱くようになったため、1126年、仁宗王が側近に命じて李資謙を逮捕しようとしたのですが、逆に軍隊を率いて宮廷を攻められてしまいました。李資謙は、仁宗を自身の家に幽閉し、毒殺しようとしました(李資謙の乱)。しかし、李資謙の四女で仁宗の妻となっていた王妃の働きにより失敗し、仁宗は難を逃れました。 その後、李資謙は、自分の部下だった拓俊京(チョクスンギョン)によって捕らえられ、流罪となり、霊光の法聖浦に幽閉されたのです。この時、この法聖浦で日乾しのイシモチを食べ、その味があまりにも美味しかったため、これを自分だけが味わうのは王様に申し訳ないと思い、王様に献上しようと考えたそうです。そこで、その味を保存しながら、遠くの王様にまで届ける方法を工夫したあげく、塩漬けにしたイシモチを岩の上で干して送る方法を確立したのだそうです。 しかし、この献上は自分の罪を許してもらうためのへつらいではなく、自分の意志を曲げないという意味であって、そこからこれを「屈非(クルビ)」と命名したと伝えられているそうです。(ここら辺、良く意味が分かりません。)この時から、霊光のクルビは王様の食膳に欠かせない料理となったそうです。 このため、昔は、クルビは王様しか食べることができなかったそうです。現在、霊光クルビは、最低でも1匹、3万ウォンはします。最高級のものになると40万Won以上(4万円以上)になるそうです。 このため、韓国でも普段の家庭で食卓に上がることはほとんどなく、ソルラル(旧正月)やチュソク(秋夕:旧盆)などの贈答品用にされることがほとんどだそうです。食堂などでは比較的安い値段で食べることができますが、それでも最低1万5,000Wonはするでしょう。 ソウル市内なら、南大門市場でクルビを買うことができます。クルビは4月が1年の間で1番、値段が下がるのだそうです。夏になると品物が少なくなるため、値段は少し高くなるようです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() お名前.comの高性能VPS 大容量150GB、メールアドレス数無制限、共有SSL対応のレンタルサーバー『ヘテムル』 |
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