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コメント[ 0 ] 2013年10月14日15:52
 落雁は、米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、花や鳥などの型に入れて押し固めて乾燥させた和菓子の1種で、干菓子の1つです。干菓子とは、乾燥して水気を含んでいない菓子のことで、生菓子に対する言葉です。
 型に押す際、餡や小豆、栗などを入れて一緒に押し固める場合もあります。現在では、お茶請菓子に用いられたり、仏事や祝儀の盛菓子にも使われます。
 落雁の発祥ですが、落雁は、もともと中国、唐から渡ってきた菓子だとする説が有力です。935年(承平5年)、源順が「和名類聚抄」を編纂しましたが、その中で唐菓子が宴で使われるのは「梅枝、桃枝、かっこ、桂心、てんせい、ひちら、ついし、団喜」の8種で、その他、餅(へい)たん、粉熟、環餅、捻頭、結果(かくなわ)、饂飩(うどん)などがあると書かれているそうです。
 この唐菓子の中で、源氏物語の宿木(やどりぎ)の巻に、「宮のお前にも浅香の折敷、高杯どもに粉熟を盛ってまいらせます」と書かれている「粉熟」は「五穀を五色にかたどり、粉にして、餅にしてゆで、甘かずらをかけ、こねあわせて細い竹の筒に入れ、突き出して作ったもの」というものですが、「落雁」(1967年)と言う書物を記している徳力彦之助氏は、「この粉熟こそ落雁の旧い名前である」と主張されています。
 室町時代には、粉熟の作り方が竹筒から押し出す方式から、板枠に押して切り分ける方式に変っており、また、落雁という名前も文献に登場してくるそうです。1364年(正平19年)頃、源親行が「原中最秘抄」を書いていますが、その中で、前述したような粉熟の製法について説明がされています。
 この新しい方式の粉熟が、何故、「落雁」となったのか、不思議です。その由来には、様々な説があるそうです。以下に主な説をまとめます。
1. 中国の菓子に「軟落甘」というものがあり、これの「軟」がなくなって「落甘」から、「落雁」になった。
2. 足利義満の頃の人で本願寺の五世、綽如(しゃくにょ)上人が北陸巡錫の折、この菓子を出されたところ、白地にごまが点々とあるのが、雪の上に雁が落ちるように見えたので、「落雁」と名付けた。
3. 本願寺八世、蓮如上人が石山寺で瀬田のあたりに雁が落ちるのを見て、その翌日に出された菓子にその名前を付けた。
4. 京都の坂口治郎の二代目が蓮如上人に従って富山の井波に住み、有栖川宮の命によって後陽成天皇に菓子を献じたところ、「白山の雪より高き菓子の名は四方の千里に落つる雁かな」という歌を賜り、落雁となった。
6. 江戸時代の後水尾天皇に加賀藩の前田利常が、この菓子を小堀遠州に意匠させ、帝に献上したところ、田に落ちた雁の落ちたところに似たとて、「落雁」のご染筆を賜ったので、御所落雁とした。
7. 明和 (1764年~1772年) の頃に著された「類聚名物考」の中に、「今、らくかんと云う菓子有、もと近江八景の平沙落雁より出し名なり。白き砕き米に黒ごまを村々とかけ入たり。そのさま雁に似たれば也、形は昔の州浜のさまたりしが、今は種々の形出来たり、云々」とあり、粉熟に点々と配したごまが雁に似ているので名付けられた。
 ここで、近江八景は堅田の落雁で、平砂落雁は中国、瀟湘(しょうしょう)八景に由来します。中国、湖南省洞庭湖に注ぐ瀟江と湘江の辺りは風光がよく、その景勝八ヶ所を十一世紀の北宋の文人画家、宋廸(そうてき)が画題として選んだことから「瀟湘八景」と称されました。その内の一つが「平砂落雁」です。この「八景」は日本に輸入され、大ブレイクし、日本でも多くの水墨画が描かれました。狩野探幽も雪中を飛ぶ雁の群れを描いています。
 ちなみに、先述した徳力氏によると、「雁が落ちるという解釈は、当時の堂上人の言葉で雁が死ぬということであり、そのような不吉な名を彼らが付けるはずがない」とのことです。
 また、鎌倉時代には、既に「落雁」という語は、舶来語として存在していたようです。綽如上人と同時代を生きた世阿弥(観世元清:1363年?~1443年9月1日)の謡曲、「善知鳥(うとう)」の一節に「落雁」という言葉が出てきます。当時、世界の先進国であった宋、元の文化にあこがれていた上流階級の人々は、舶来語を使うことが博学を示すものとして流行していたようで、元清も水墨画の「平砂落雁」を見て早速、謡曲に取り入れたようです。
 そして、そのような時代背景の中、この「雪中を飛ぶ雁の群れ」の水墨画を知っていた教養人が、白地に黒ごまが散った粉熟を見て、「これぞ落雁」と命名したのではないか、というのが有力な説です。

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コメント[ 0 ] 2013年09月08日15:41
 私が初めて「とん平焼き」というものを知ったのは、1987年頃でした。当時、住んでいた近くに大阪のお好み焼屋さんがあり、そこにメニューとして載っていたのを見たのが最初でした。(この時、初めて、「そばめし」というものも見ました。)知らない食べ物に関しては、聞いてみるより、食べてみる主義(百聞は一食にしかず)でしたので、全く想像がつかない料理だったのですが、とりあえず、頼んでみました。
 店主は、鉄板の上にお好み焼きの生地を薄く、伸ばして焼き始めました。そして、その隣では、少し厚めの豚バラ肉を焼き始めました。ここで私は、「とん平」の「とん」が「豚」を意味する「トン」のことであると気づきました。しかし、「平」が何を意味しているかは、分かりませんでした。
 さらに見ていると、豚肉を生地の上に乗せ、塩、コショウを振りかけていました。また、その横に玉子を割って、コテで黄身をつぶしながら広げていきました。この薄焼き玉子を、先ほどの豚肉が乗った生地の上に乗せ、さらに薄く生地を塗って、両面を焼いて完成でした。この表面にソースを塗って、細い線状にマヨネーズをかけて完成でした。
 とん平焼きの発祥は戦時中にまでさかのぼるのだそうです。当時、ロシアに捕虜としてつかまっていた大阪北区の「本とん平」というお好み焼屋さんの初代の御主人が、現地の兵隊が美味しそうに食べていたものを参考にして考案した料理だそうです。
 「とん平焼き」は、現在では「豚平焼」、「とんぺい焼き」、などと書かれ、また、「とんぺい」、「とん平」などと省略されて呼ばれることもあるようです。「本とん平」の現主人の話によると「豚(トン)」を「平」たく焼いたことから、名付けられたそうです。

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コメント[ 0 ] 2013年07月21日22:22
 一般的に「中華丼」と言われていますが、他にも「中華飯」、「八宝飯」、「五目あんかけ飯」などと呼ばれている料理です。中華料理屋さんで出される「あんかけ丼」と言われるような料理も同じだと思います。御飯の上に餡かけ肉野菜炒めを載せた料理です。日本で生まれた料理で、中国には「中華丼」や「中華飯」という料理はありません。
 もともと日本の中華料理屋さんには「八宝菜」という料理があったそうです。この八宝菜という料理は、中国の広東料理で、日本でも広東料理のお店で出されていた料理だと思います。中華丼の発祥は、昭和初期の東京の中華料理店で八宝菜を注文したお客さんが、「ご飯の上に八宝菜を乗せてくれない?」と頼んだのが始まりだそうです。そうだとすれば、正式には「八宝菜かけ御飯」ということになるのでしょうか。
 鶏肉や豚肉、イカ、海老、タケノコ、シイタケ、白菜、ニンジン、キクラゲなどを炒めて、醤油、塩などで味を調えた後、水溶き片栗粉でとろみをつけた八宝菜を丼に盛ったご飯の上にかけた料理です。材料や味付けは、店によって異なりますが、だいたい似たような見た目、味付けだと思います。
 中華丼が生まれた頃は、単純に八宝菜を乗せただけなのかもしれませんが、現在の中華丼は、いろいろと工夫がされているように思います。例えば、八宝菜の餡はトロミが薄い場合が多いように思いますが、中華丼の場合は少し、とろっとした餡になっているような気がします。御飯にかけるということを重視して、とろみを濃くしているのかもしれません。また、「中華丼」だけで料理が完結することから、「八宝菜」よりも濃い味付けにしている場合もあるようです。
 現在の日本の中華料理店では、どこの店でも、だいたいメニューに載っていますし、お店によって使用される材料も異なっていて、食べ飽きない料理です。一人暮らしの人には、手ごろな値段で、いろいろな野菜をたっぷり食べることができて、ありがたい料理だと思います。
 中国にも、似たような名前の「八宝飯」という料理があるようです。しかし、こちらは、甘い味付けの餅米に小豆餡、干しナツメなどの甘い具材を組み合わせて、碗に入れて蒸したデザートだそうです。似たような名前でも、明らかに別の料理ですね。


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コメント[ 0 ] 2013年06月16日12:53
 私の実家付近では、「今川焼き」とか、「大判焼き」と言う名称で呼ばれていたと記憶しています。一般的に、小麦粉、卵、砂糖を水で溶いて作った生地を円形のくぼみのある鉄または銅製の焼き型に流し込んで餡を乗せ、その上にさらに生地を流し入れるか、別の型で焼いておいた同型の生地を乗せて、高さの低い円筒形に焼いた和菓子です。
 生地に挟まれる餡は、小豆あんが主流ですが、最近では、色々な種類が餡があるようです。例えば、白アン、カスタードクリーム、ポテマヨ(ポテトとマヨネーズ)、ラザニアなどです。台湾では、車輪餅、紅豆餅、太鼓饅頭などの名で販売されているそうで、タロイモ、ゴマ餡とピーナツ、キャベツ炒めやカレーなどの具を入れた商品もあるそうです。
 形状は、小判型や丸型が一般的ですが、「ぱんじゅう」のようにたこ焼きに似た半球の丸い形状と釣鐘状のものもある。さらに言えば、外観(焼き型)を変えたものがタイ焼きであり、どこからどこまでが「おやき」なのか、区別は難しいと思われます。
 今回、調べてみたところ、日本全国で様々な名前で呼ばれているようです。単純に「おやき」と言う所もあれば、大判焼き、小判焼き、二重焼き、回転焼きという名称もあるそうです。分かった範囲をまとめると次のようになりました。
 あじまん(山形市)、甘太郎焼、今川焼き、大判焼き、おばんやき(青森)、おやき(北海道、青森市、弘前市など)、回転焼き(奈良、大阪)、回転饅頭(大阪市、堺市)、画廊まんじゅう(静岡市清水区)、義士焼き、御座候(姫路市ほか)、御座候(兵庫、埼玉)、小判焼き、七越焼き(富山市)、志゙まんやき(じまんやき)、人工衛星饅頭、太閤焼き、太鼓まん、太鼓饅頭(高知市)、太鼓焼き、花見焼き(埼玉県蕨市)、ぱんじゅう(小樽)、びっくり饅頭(広島県呉市)、蜂楽饅頭(熊本県)、豊楽饅頭(福岡)、夫婦まんじゅう、などです。
 この他にも、JRAの競馬場内で販売している「G1焼き」など、発売場所のイベントや祭りに関連した名称を付けている場合もあるようです。
 「今川焼」という名称は東京、「大判焼き」は愛知や大阪で呼ばれているようです。静岡市は、両方の文化が入り混じって、両方の名称があったのでしょうか。
 「今川焼き」の名称は、江戸時代中期の安永年間に、江戸の神田に今川橋という橋に由来するようです。当時の地元町人の代表であった名主、今川善右衛門の姓から「今川橋」と名付けられた橋は、昭和25年に竜閑川の埋め立てと同時に解体され、現在ではありません。江戸時代、今川橋付近の店で、このような焼き菓子が売り出されたことから「今川焼き」と呼ばれたようです。
 ただ、この今川焼きが全国に広がっていったと考えると、名称の多さ、形状、種類の多さが説明できません。今川焼きを食べたり、見た人が真似をして作っていったようにも思えますし、同時期に、似たようなお菓子が発生したとしても不思議ではありません。多分、ルーツを探すのは難しいのでしょうね。

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コメント[ 0 ] 2013年03月10日16:40
 「ぼたもち(牡丹餅)」とは、うるち米ともち米を混ぜて炊いて、米粒が残る程度について小ぶりの俵状にまるめ、あんをまぶした食べ物です。これと似た食べ物に「おはぎ」がありますが、この2つは、基本的には同じものだそうです。
 「牡丹餅」も「御萩」も、春の彼岸、秋の彼岸に仏前に供えたり、食べたりしますが、これは江戸時代に定着した風習のようです。小豆の赤色には、古くから災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられていたようです。このため、邪気を払う食べ物としての信仰があり、それが先祖の供養と結びついたようです。
 また仏教では、彼岸は、彼の岸として悟りの境地を指し、苦しみに満ちている此岸と対になる言葉として使われています。このため、彼岸の間は仏道修行に励むのですが、日本では祖霊崇拝の慣習と合わさり、ボタモチやオハギを捧げ、先祖を慰め、自分自身の功徳を積んでいたようです。
 春のお彼岸の頃は、牡丹の花が咲く時期です。仏前に供える餅が、黒牡丹の花に似ていることから「ぼたもち」と名づけられ、ボタンの花に似せて丸く大きく作られたようです。
 一方、秋のお彼岸の頃は、萩の花が咲く時期です。餅にまぶした小豆の粒の様子が萩の花が群がっているように見えたことから、その餅は「おはぎ」と呼ばれ、萩の花のように小さめにやや細長く丸めて作られるようになったようです。
 また、「ぼたもち」と「おはぎ」は、使用する餡にも違いがあります。これは、アンの材料である小豆の収穫時期の問題のようです。
 秋のお彼岸の頃は、小豆の収穫期とほぼ同じであるため、採れたての柔らかい小豆を餡にすることができます。このため、柔らかい皮も一緒につぶして使うため、粒あんになっています。
 一方、春のお彼岸の時期は、冬を越した小豆を使うしかありません。このため皮からは水分が抜け、少し、固くなっています。この固くなった皮をそのまま使って餡にすると食感が悪くなるため、ボタモチには、皮を取り除いた小豆を使うため、コシ餡になります。
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