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2025年05月18日03:03
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CATEGORY[福島]
コメント[ 0 ] 2014年06月25日08:11
 かりんとう饅頭は、主に福島県で販売されているお菓子です。黒糖を練り込んだ生地で、甘さ控えめのこしあんを包んだ饅頭を油で揚げて作られています。特殊な製法で揚げることによって表面がカリッとして、かりんとうに似た食感になっているのが特徴的なお菓子です。
 福島県田村市船引町にある「菓子工房あくつ屋」さんが生み出したお菓子のようです。菓子工房あくつ屋は、創業大正12年の伝統ある和洋菓子店です。饅頭の皮に地元船引町の特産品であるエゴマを練りこんで作ったお菓子を2001年に「かりんとう饅頭」の商品名で発売したのが最初のようです。この店の商品名として「かりんとう饅頭」と名付けられのだそうです。
 福島県のローカル番組で紹介されたことから、福島県内で広く知られるようになっていったようです。その後、福島県内の郡山市や会津若松市などのお店でも似たようなお菓子が作られるようになり、徐々に広がっていったようです。
 2008年4月には、隣県の群馬県高崎市下室田町の和菓子店おおみやでも、「かりんとうまんじゅう」という商品が発売されるようになり、群馬県内にも広がっていったようです。
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CATEGORY[中国料理]
コメント[ 0 ] 2014年06月19日08:05
◎火鍋(中国)
 火鍋は、中国人の食文化において広く知られている鍋料理です。鍋に火をかけ、肉、魚介類、野菜などをスープで煮込みながら食べる中国の鍋料理です。現在では中国大陸に限らず、香港、マカオ、台湾、シンガポール、マレーシアなどの華僑社会でも食されており、その他、日本やアメリカなど世界中の中華街や火鍋専門店などの中華料理店においても提供されています。
 火鍋は、中国では長い歴史を持ち、各地でさまざまに発展した独特の料理です。古くは「古董(グウトン)羹」とも呼ばれていたそうです。煮たったスープに食材を入れたときの「ゴトゴト」という音から名づけられたのだと言われています。鍋に食材を入れて煮る食べ方から「中国のしゃぶしゃぶ」と呼ばれることもあるようですが、北京のシュワンヤンロウという羊肉の火鍋が京都に伝わったのが日本のしゃぶしゃぶのルーツのようです。
 火鍋が何時ごろできたのか、はっきりしたことは分かっていないようです。ただ中国の食文化の歴史を見ると、おおよそ3千年くらい前に発明された「鼎」という食器と関係があるようです。これは鉄製の大鍋で3本か4本の足で支えられています。当時は祭祀において、牛や羊の肉をその中で煮て神にささげた後、皆で分け合って食べたようです。これが火鍋の最も古い形といえます。
 鍋自体の発展と共に、味付けも工夫されていったようです。三国時代、魏の文帝のとき「王熟釜」という記録があるそうです。これは鍋の中を5つに分け、それぞれに別の味(五味)の食材を入れた鍋料理です。現在のオシドリ鍋(鍋を2つに仕切り、赤く辛い麻辣湯と白くあっさりとした白湯を入れた火鍋)の基になったと言われています。
 また、南宋時代、林洪の「山家清供」には、次のような話が載っているそうです。「林洪が友人と一緒に武夷山の止止大師を訪ねたとき、山を登っている途中で大雪になりました。そこに野兎が1匹飛び出してくると、雪で足を滑らし、下の岩にぶつかって気を失ってしまいました。林洪はこれを捕まえ、焼いて食べようと考えて止止大師にどんなふうに料理したらよいか尋ねました。止止大師は「鍋に湯を沸かし、兎肉を薄切りにしてしゃぶしゃぶし、いろいろな調味料をつけて食べたらよい。」と教えます。林洪がその通りに調理すると非常に美味しく、皆で楽しく談笑しました。」という話です。普通に焼いて料理するよりも鍋にした方が美味しいということが広く知られていたということです。
 火鍋が最も盛んだったのは清の時代です。「清代档案史料叢編」に「千叟宴」の記録が記載されています。これは1796年に宮中で催された宴で、用意された火鍋は1550以上、集まった人は5000人以上という前例のない大規模な「火鍋宴」でした。
 火鍋は肉、魚、野菜、香辛料など豊富な食材を使うので、様々な栄養素が一度に摂れる理想的な料理といえます。その土地の風土に合った食材を使うことで、健康維持にも役立ってきたのです。
 火鍋は中国全土に見られ、その種類は多く、使用される食材や味付けも様々です。代表的なものに北京火鍋(北方火鍋)、河南火鍋、川味火鍋(重慶火鍋など四川省)、湖南火鍋、貴州火鍋があります。
 この他にも香港やマカオで食される火鍋や、台湾の火鍋もあります。また、麻辣味と呼ばれる辛味をベースにした火鍋は特に「麻辣火鍋」と呼ばれ、中国四川省や台湾の火鍋に多くの種類があります。
CATEGORY[韓国]
コメント[ 0 ] 2014年06月13日08:58
 タンスユクは、韓国に滞在している時、韓国の中華料理屋さんでいつも食べていた料理です。韓国でも中華料理屋さんが沢山、あるようですが、韓国に滞在していた時、中華料理屋さんで日本で食べるような中華料理を食べたことは一度もありません。
 韓国の人と中華料理屋さんに行って食べる料理は、チャンポン、ポックンパッ、チャジャンミョンのいずれかです。これらの料理を食べたい時(あるいは、連れの韓国人が食べたい時)に中華料理屋に行くので、日本で行くような青椒肉絲とか麻婆豆腐とか、いわゆる中華料理を食べたことはありません。
 そして、これらの料理を頼んだとき、韓国人の誰かが、必ず頼むのが「タンスユク」なのです。私には、まあ、美味しい料理ではあるものの、これが一体、何なのか、全く分かりませんでした。日本に帰国してから調べた結果、「タンスユク」が「韓国式酢豚」と記載されていて、とても驚きました。
 というのは、日本人が思っている「酢豚」と「タンスユク」は、見た目の「色」以外に似ている点など全くないのです。日本で酢豚を頼めば、基本的に甘くて酸っぱい料理です。その名前が「酢豚」となっているくらいですから、酸っぱくなければ酢豚ではないと思います。もちろんパイナップルが入っていたり、甘さが強かったり、いろいろなアレンジがあるとは思いますが、「酢豚」と聞いてイメージする料理はある程度、似ているものと思います。
 ところが韓国で食べたタンスユクは、揚げた豚肉と少しの野菜に甘いソースがかけられているのですが、ほぼ、揚げた豚肉です。当然、「揚げた豚肉に甘いソースがかかっている料理」としか思っていませんでしたので、とてもそれが「酢豚」と言われる料理とは思いもしませんでした。私の実感としては、あえて「酢豚」と言わなくても良いのではないかと思います。「タンスユク」は「揚げた豚肉に甘酢ソースをかけた料理」で良いのではないでしょうか。
 お店によっては、この甘酢ソースと豚肉は別々に出されます。ここまでになってしまえば、絶対に酢豚ではありません。サクサクの揚げた豚肉に特別なソースをつけて食べる料理ですから、絶対に酢豚ではありません。「タンスユク」は韓国独自の料理として認識していただいた方が良いのではないでしょうか。
CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ] 2014年06月07日13:58
 明太子(めんたいこ)とは、産卵前のスケトウダラの腹からとれた卵巣(タラコ)を塩漬けにして唐辛子を基本にした調味液で味付けして熟成させた食べ物です。「ふくや」の川原俊夫氏が1949年(昭和24年)1月10日に「明太子」と名付けて、製造販売したのが、日本で最初と言われています。
 これ以前でもタラコは、日本国内でも海外でも食べられていたようです。1903年頃から北海道においてスケトウダラ漁が本格化して、スケトウダラの卵の塩漬け(たらこ)が盛んに食べられていました。1910年から1921年にかけて、スケトウダラの卵巣に食塩と食紅を添加した「紅葉子」が開発され、樽詰めにして北海道各地、山形、新潟、東京、名古屋、大阪、下関等に出荷されていました。
 福岡でもタラコの塩漬けを「たいのまこ」と呼んで食べていたそうです。川原氏が「明太子」を売り出す際、当初、「たいのまこ」として販売しようと考えたこともあったようですが、思案の結果、「明太子」として売り出したそうです。
 この明太子の語源は、韓国にあるようです。韓国では、スケトウダラを「明太(명태:みょんて)」と呼びます。これは、朝鮮の明川(みょんちょん)という所に住む太(テ)さんが「スケトウダラ」を初めて釣ったため、朝鮮半島ではスケトウダラを「明太(ミョンテ)」と呼ぶようになったのだそうです。
 「朝鮮の食べもの(鄭大声著、築地書館、1984)」という本では、「17世紀半ばの李朝時代に観察使として赴任した閔(ミン)という人がこの魚を食べ、その名を地元民に聞いたが、誰も知らなかったため、明川(ミョンチョン)郡の「明」と、魚をとった漁師の名前「太」をとって「明太」と名付けた。」と記載されています。上記の話が、広く知られていたことが分かります。
 戦前、朝鮮半島や中国に住む日本人の間ではスケトウダラも、味つけされたタラコも「メンタイ」と呼んでいたそうです。当時の朝鮮の漁師たちは、スケトウダラが捕れると魚自体よりも美味しいという事で、その卵を取り出して塩辛などを作って食べていたそうです。
 幼年時代を韓国の釜山で過ごした川原氏は、韓国でスケトウダラや、唐辛子やニンニクで漬け込んだキムチのように味つけされたタラコを食べていたようです。川原氏は、明太子を売り出す際、「明太(スケトウダラ)」の子(卵)ということから「明太子」と名付けたそうです。
 空襲で焼け野原となっていた福岡県の中州に引揚者25所帯で市場を作り、「ふくや」という食料品店を始めたのが1948年(昭和23年)10月5日でした。この3ヶ月後に明太子の製造、販売を始めましたが、当時の明太子はまずい上に値段が高く、あまり売れなかったようです。当時、サンマ一尾が10円であったのに、明太子は一腹120円もしたそうです。
 「ふくや」は明太子以外の食品で儲けていたため、この店独自の商品を作りたいという川原氏の思いを遂げることができたそうです。試行錯誤をしながら改良を加え、現在の調味料に漬け込む辛子明太子の製法にたどりつき、美味しい「明太子」が完成するには、10年以上の歳月がかかりました。1960年に改良された辛子明太子が「味の明太子」の名前で発売され、そのレシピを無料で配布することによって博多中に「明太子」が広まっていったようです。
 現在では、「辛子明太子」、「明太子」なる商品名で売られることが多いようですが、どちらも同じように唐辛子などで味付けされています。ちなみに、「全国辛子めんたいこ食品公正取引協議会」の規約では、「辛子めんたいこ」を「すけとうだらの卵巣に唐辛子を主原料とする調味液等で味付けしたもの」と定義しています。
 「明太子」の原料となるのは、タラ科の魚「スケトウダラ」の卵巣です。スケトウダラは全長60~70cmほどの細長い形をした魚で、北海道近海などの日本海や太平洋の北部、ベーリング海からアラスカ湾までの北海に生息しています。例年、2月~4月頃の日本海近海、または12月~2月頃の朝鮮近海で産卵します。卵巣は2本が一対の状態で繋がっており、対単位で一腹(ひとはら)、ニ腹(ふたはら)と数えます。
CATEGORY[中国料理]
コメント[ 0 ] 2014年05月05日14:30
 回鍋肉は、四川料理で最も人気があり、四川料理の王とも呼ばれる四川省西部の家庭料理です。「回鍋肉」の「回鍋」とは、「いったん茹でたものを再び炒める調理法」のことで、「肉」は、中国では「豚肉」を表す。牛肉を使った料理であれば、「牛肉」と書きます。
 回鍋肉は、豚肉を塊のまま茹でて、一度、冷ましてから薄切りにして野菜と炒め合わせ、豆板醤、豆豉、甜麺醤、醤油、老酒などで味付けします。四川では、野菜として葉ニンニク(蒜苗)、生姜、ネギなどの薬味だけを用いるのが一般的です。これらの香味野菜が、豚肉の美味さを引き出し、美味しい一品に仕上げられています。
 日本で食べられている回鍋肉は、キャベツと豚肉を豆板醤や味噌などで甘辛く炒めた料理として知られていると思います。これは四川省出身の中華料理人、陳建民氏が日本で回鍋肉を作る際に、日本で手に入れやすく、日本人の口に合うキャベツに変更したことが原因のようです。また、手間を省くため、最初から薄切りの豚肉を使うようにレシピを変更したそうです。
 この回鍋肉が日本で広まっていったため、日本では回鍋肉と言えば、豚肉とキャベツの味噌炒めみたいに思われているのかもしれません。日本の回鍋肉は、本場の回鍋肉と比べ、甜麺醤を多めに使っており、甘辛い味になっています。

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