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CATEGORY[韓国]
コメント[ 0 ] 2014年04月27日11:07
 「カンジャン」とは漢字で「醤油」と書き、そのまま「韓国の醤油」です。韓国で醤油作りが始まった時期は明確には分かっていませんが、文献上、カンジャンに関する記述が初めて登場するのは683年の「三国史記」という書物だそうです。高麗時代に書かれたこの歴史書には、「ペベッ」という王妃を迎える婚礼の儀式の品目として、「カンジャン」と「テンジャン」の記録があるそうです。
 カンジャンは調理法や材料により、昔ながらのカンジャンと現代の味覚に合った市販のカンジャンがあります。伝統的な製法で作られた醤油は、「在来式、チェレシッ)醤油」と言われます。冬場に仕込んだ豆麹を自然発酵させた後、それらを塩水に漬けて熟成。数ヵ月後に圧搾して得られた液体(この時、残った固体がテンジャン)を日光の下でさらに熟成させて完成します。韓国の一般家庭でも作られてきたため、「チッカンジャン(直訳すると家醤油、チッは家の意味)」とも呼ばれてきました。
 カンジャンは、塩水に大豆の麹を入れて日当たりの良い所に置き、醗酵させて作ります。醗酵させたカンジャンの元は大豆こうじのもろみをこし取った後、火にかけて発酵を止め、濃厚なカンジャンに仕上げます。カンジャンの味は醗酵の間の酵母の作用によって決まります。カンジャンの「カン」は、「塩からい」と言う意味です。カンジャンは塩分が強いため貯蔵性が高いのですが、保存の仕方を間違えると白い膜ができて、味が変わります。このため、毎日、蓋を開けて日光にあて、殺菌する必要があるのだそうです。カンジャンは年月が経つほど美味しくなるそうです。
 韓国の家庭でよく使われる醤油には汁醤油(クッカンジャン)、陳醤油(チンカンジャン)、醸造醤油(ヤンジョカンジャン)の3種類があり、用途によって使い分けられています。
 汁醤油は100%、大豆のみを使用した伝統製法による醤油で、朝鮮醤油(チョソンカンジャン)、家醤油(チッカンジャン)とも言われます。塩分含有率が高く、色が薄めなのが特徴で、塩の代わりに使用することも多いそうです。汁物や和え物など、素材本来の色を残しつつ味を調えたいときに最適だそうです。日本の薄口醤油の感覚で使えるカンジャンです。
 陳醤油は改良式の醤油で、倭醤油(ウェカンジャン)とも呼ばれます。元々は、長期間熟成した在来式醤油のことを陳醤油と呼んでいましたが、現在は、その代用として使われており、各メーカーの商品名にもなっています。汁醤油に比べて塩分が少なめで甘味があり、色が濃いのが特徴です。熱を加えても味の変化が少ないため、加熱する料理に向いています。
 醸造醤油は微生物による自然発酵、長期熟成によって完成する醤油です。深い味わいと豊かな香りが特徴です。色合いは陳醤油とほぼ同じで、大きな違いはありません。醸造醤油は、そのままの風味を味わうのが一番、美味しく、熱を加えない料理やソースとして利用するのに向いています。韓国では、刺身を食べる際の醤油としても利用されているようです。
 カンジャンは、味を調えたり旨味を引き出したりと、様々な用途で使われてきました。韓国料理として有名なカンジャンケジャンやカルビチムなどのメイン調味料にもなっています。
 現在では、有機大豆を使用して作られる有機農醤油、塩分含有率が低い低塩醤油や、野菜や昆布のエキスが入った煮物用醤油など、いろいろな種類の醤油が販売されています。

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CATEGORY[群馬]
コメント[ 0 ] 2014年04月20日10:40
 群馬県の富岡市を走っていたら、大きな看板があって「富岡名物、ヒレカツ丼」と書かれていたので、思わず、その店に入ってしまいました。
 中は、座敷とテーブル席がある田舎の定食屋さんと言った作りでした。早速、名物の「ヒレカツ丼」を頼んだのですが、ものの数分で持ってきてくれました。カツ丼って、もっと時間がかかるものだと思っていたのですが、意外に早くてびっくりでした。
 運ばれてきたヒレカツ丼は、ヒレカツが丼からはみ出ていて、蓋がちょこんと乗っていて、「フタの意味がないじゃん!」と思うくらい大きいヒレカツでした。蓋を取ってみると、御飯の上に掌くらいの大きさのヒレカツが3枚も乗っていて、なかなかのボリュームでした。
 カツの下にあるはずのお米は全く見えず、「食べづらいな」と思って周りを見てみると、別のテーブルで先にヒレカツ丼を食べていた小父さんは、フタの上にヒレカツを1枚、避難させて、ヒレカツ2枚が乗った丼御飯を食べていました。「なるほど、フタは、こうやって使うのか!」と、常連さん(?)のテクニックを教えられた思いでした。
 テーブルの上には、普通の「ソース(とんかつソースか、ウスターソースか忘れましたが)の瓶が置いてあったので、これをかけて食べるのかと思っていたのですが、ヒレカツ丼には少し色がついていて、何かの味付けがされているようでした。いわゆる「ソースかつ丼」のようでした。
 とりあえず、ソースをかけずに味をみてみようと、一口、食べてみると驚きの味でした。予想とは全然、違った味でした。なんと「甘い醤油系の味」のカツ丼でありました。初めての味なのに、何故か、懐かしいような感じの味でした。カツも柔らかく、とても美味しかったです。ただ、ヒレカツの大きさに比べて、御飯が少ないように思いました。


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CATEGORY[中国料理]
コメント[ 0 ] 2014年04月17日12:42
 中国料理で最も有名な炒飯だそうです。揚州炒飯とは、玉子炒飯をベースにして、豪華な食材が入った五目チャーハンのことだそうです。日本の五目炒飯の原型だと言われているようです。
 揚州炒飯は江蘇省の揚州市を中心とした地域を発祥としていますが、元々のルーツは、「砕金飯」と言われているようです。隋の時代の「謝諷食経」という書物に「越国食砕金飯」という記述があり、これは「越国(浙江)では砕金飯(金のかけらのような飯)を食べている」という意味で、揚州付近で食べられていた蛋炒飯(卵チャーハン)のことだと言われています。
 「砕金飯」は揚州に伝わり、改良され、具材も増えていき、今日のような揚州炒飯になったのだそうです。したがって、御飯の一粒ずつが卵液に包まれ、炒めると金色に輝くので、俗に「金裹銀(金で銀をくるむ)」と言われているそうです。そして、現在、揚州炒飯と言われているのは、非常に多くの材料を用いた豪華な炒飯です。
 しかしながら、これと言った決まりがなく、揚州以外の地域では卵、青ネギ、ハムなど、普通の材料を適当な種類、使用した炒飯を「揚州炒飯」と呼んでいるようです。
 そんな状態を見るに見かねて2002年3月、揚州の料理人の団体である「揚州調理師連合会」が「揚州炒飯の基準」というものを制定し、発表したそうです。その冒頭には、次のように書かれていたそうです。「我々は「揚州炒飯」の名誉を守るために、本物の「揚州炒飯」の基準を発表します。材料、製法、技術など、全てこれに基づいて作ることをお願いしたい。また、「揚州炒飯」にも色々な種類がありますが、これは最も標準的な「五目炒飯」に適用されるものです。これによって全国の揚州炒飯が統一の品質を保ち、ブランドが守られることを我々は望むものです。」
 そして、その内容は以下のように記載されていました。「材料」には「1人分。上等な米500g、地鶏の卵4つ、海鼠(ナマコ)20g、地鶏腿肉30g、上等な中華ハム10g、貝柱10g、川海老むき身50g、干し椎茸20g、新鮮な筍30g、グリーンピース10g、さらに調味料として葱のみじん切り10g、塩6g、鶏ガラスープ100g、サラダ油60g」と規定されていたそうです。さらに「製法」、「技術要求」、「費用・値段」と続いており、費用、値段は「コストは材料、ガス代を含め12.99元/1人分。揚州での市場価格は、25元とする」とまで規定されていたそうです。
 この基準を作るにあたり「揚州調理師連合会」は、大勢の学者や研究家を招き、プロジェクトを結成し、何ヶ月もかけて揚州炒飯を徹底的に科学分析したそうです。揚州の調理師連合会の熱意には、頭が下がる思いがします。しかしながら、自己主張が強い国、中国です。全土から、ものすごい反発が出たのだそうです。「辛いものが好きな四川、甘い味が好きな上海など、地方によって味付けや好みの具材が違うのに1つの価値観を押し付けるのはおかしい!」という主張のほか、「値段まで、勝手に決められるなんて余計なお世話だ!」という反論が多く出たそうです。
 この騒ぎは「国家工商総局」という、この分野の国家最高レベルの窓口に達し、総局は次のような見解を出しました。「揚州炒飯は、たしかに商標として登録されてはいるが、それは商品名としてであって、料理名としてではない。すなわち、各レストランでメニューとして出すのは自由である。」とのことでした。
 さらに、中国全国調理師協会副会長である馮恩源氏が「揚州炒飯は、すでに一種の大衆的食品であり、そもそも商標登録すべきではない。各地の色があっていいし、統一化する必要はない。」とコメントしたそうです。結局、揚州炒飯は、具が多い炒飯として、いろいろな地方で独自に作られている炒飯として存在しています。
 何故、揚州炒飯は豪華な食材を使った炒飯になったのか、という点について、次の説話が有名なようです。
 清の第6代皇帝、乾隆帝が巡視で揚州を訪れた時、ある農村で食事を所望したそうです。突然のことだったので、農民は、残り物の御飯を卵とネギと一緒に加えて出したそうです。乾隆帝に、その料理の名前を尋ねられたものの、あり合わせの材料で作った料理に名前があるはずもなく、適当に「揚州の炒飯です」と答えたそうです。その後、宮廷に戻った乾隆帝が、揚州で食べた炒飯をもう一度食べたいと言い出し、さすがに卵とネギだけではどうかと考え、豪華な食材を加えた炒飯を作ったそうです。それが、宮廷では、「揚州炒飯」という名前になり、豪華な食材が使われた炒飯が「揚州炒飯」として、広く知られるようになったという話です。

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CATEGORY[韓国]
コメント[ 0 ] 2014年04月12日14:42
 「テンジャン」の「テン」は韓国語で「固い」の意味で、「ジャン」は「醤(ひしお)」、つまり「味噌」のことです。すなわち「テンジャン」とは、「固い味噌」の意味です。大豆の粒が残るように粗めにつぶした見た目の味噌が「テンジャン」です。若干、くせがある独特の匂いが特徴で、沸騰すると香りが飛ぶとされる日本の味噌とは違い、煮立てるほどに風味が強調される味噌です。
 正確な歴史は分かっていないようですが、中国の歴史書「三国志」の「東夷(とうい)伝」に高句麗の醸造文化を称える記載があるそうです。このことから、三国時代(4世紀~7世紀中葉)には、既にテンジャンが食べられていたと推定されています。
 韓国のテンジャンの製造法には、大きく分けて2つがあります。1つは、在来式(チェレシッ)と改良式(ケリャンシッ)です。伝統手法として知られるのが在来式です。
 在来式では、冬の寒い時期に仕込むのが重要です。日本でも寒仕込み味噌は味が良いとされていますが、韓国のテンジャン作りも冬場が適期と言われています。中でも、豆麹と塩水を合わせる仕込み作業は、昔から旧暦1月15日のテボルム(대보름、「一番大きな満月の日」という意味)の頃に行なうと美味しいジャンが出来上がると言われてきました。
 自然発酵させた豆麹に塩水を加え一定期間漬けた後、豆麹のみをハンアリ(伝統甕)に移し、さらに熟成させて作ります。「ハンアリ」とは、表面に微細な空気穴を持つことから「息をする器」の別名をもつ壺のことです。気温が上がる日中は、ハンアリ内の発酵が進み、中の液体が淵まで盛り上がり、日没後は逆に、すっと下に沈んでいきます。このような変動を繰り返しながら、季節の移ろいとともにハンアリの中のテンジャンの熟成が進んでいきます。
 この時、豆麹が漬かっていた塩水は「カンジャン」となります。一方、改良式はテンジャンとカンジャンが平行して出来る在来式と違い、最初からテンジャンのみを作る方法です。豆麹に塩水を加えて混ぜ合わせたものを熟成させて作ります。
 テンジャンは、古くから重要な蛋白源として食べられてきました。テンジャンを味わうには、チゲ(鍋)料理が最も適しています。煮干しや昆布で出汁をとり、カボチャ、玉ネギ、ジャガイモなどの野菜や、大きめに切った豆腐を入れ、テンジャンを加えてグツグツと煮込むと香りも風味も豊かなテンジャンチゲができます。テンジャン独特の香りが肉や魚の生臭さを消して、さっぱりと仕上げてくれるので、肉でも魚でも美味しく食べることができます。
 特に豚肉との相性は良く、豚肉を茹でる時にテンジャンを少し入れると、豚肉の臭みを消して、豚肉本来の旨みを引き出してくれます。ナムルを作る時も、軽くテンジャンであえると、香りがより引き立ちます。
 現在では、原料や製法によって様々なテンジャンがあり、麦(ポリ)で作ったポリテンジャンや、調味済みのチゲ専用テンジャンなど、スーパーでは多様な商品が販売されています。

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CATEGORY[宮崎]
コメント[ 0 ] 2014年04月06日17:03
 チキン南蛮(ちきんなんばん)は、鶏肉のから揚げを甘酢に漬け、タルタルソースをかけた揚げ物料理です。鶏南蛮(とりなんばん)と呼ばれることもあるようですが、蕎麦屋さんにある「かしわ南蛮」とは違う料理です。また、丼飯の上に乗せた「チキン南蛮丼」も知られています。
 チキン南蛮は、宮崎県延岡市を発祥とする料理として知られています。その原型は、昭和30年代に延岡市内にあった洋食店「ロンドン」の厨房で出されていた賄い料理だと言われています。その賄い料理は「南蛮漬け」という名が示す通り、「アジの南蛮漬け」などと同様に、衣を付けて揚げた鶏肉を甘酢に浸した料理だったようです。チキン南蛮の発祥には2説ありますが、この「ロンドンの賄い料理」が「チキン南蛮の原型」という点については異存がないようです。
 2説ある発祥とは、いずれも現在も延岡市内でお店を開いている「直ちゃん」というお店と、「おぐら」というお店の2説です。
 「直ちゃん」のチキン南蛮は、上述した「ロンドン」で働いていた後藤直(ごとうなおし)さんが、1964年(昭和39年)に独立し、延岡市栄町に大衆食堂「直ちゃん」を開いた際、この賄い料理をヒントに、安価で手に入りやすい鶏の胸肉を使ったカラ揚げを甘酢に浸した料理を販売したそうです。当時は、一品150円だったそうです。
 「直ちゃん」は、現在でも開業されており、そこで提供されるチキン南蛮は、当初からの甘酢に浸しただけの純粋な南蛮漬けで、現在、主流となっているタルタルソースは用いられていません。直さんの息子で2代目の後藤浩一さんは、当初のチキン南蛮の味を守り続けています。
 そこでは、生後何日目というのを決めた新鮮な鶏肉の皮をはいで、厚いところを切ったり組み合わせたりして、同じ大きさ、均一な厚さになるようにして、塩、コショウをするのだそうです。この仕込みに時間がかかるため、あまり大量には作れないようです。ただ、先代の味を守るだけではなく、必要な改革はしているそうです。例えば、御客様から「マスタードをつけると美味しいよ」と聞かされて、店にマスタードを置くようになったそうです。今では、ほとんどの御客さんがマスタードをつけて食べているそうです。
 また、以前は仕上げはレモンだけでしたが、「カボスが美味しい」と言われて、試してみたら、実際にその通りだったので、現在では使うようになったそうです。いいこと、できることは採用するなど、柔軟性を持ちながら、伝統の味を守っているそうです。
 一方の「おぐら」は、現在の主流となっている、タルタルソースを掛けたチキン南蛮を考案した店とされています。この「おぐら」は、現在、宮崎では知らない人はいないファミリーレストランチェーンになっているのだそうです。
 後藤さんよりも前にロンドンで働いていた延岡市出身の甲斐義光さんは、1956年(昭和31年)に宮崎市に洋食店「おぐら(後に有限会社おぐら)」を開業したそうです。開業時には、チキン南蛮はメニューになかったそうです。1964年(昭和39年)に宮崎市に「おぐら」2号店をオープンした時、店名を甲斐さんが延岡市で修行していた「ロンドン」と同名の「洋食屋ロンドン」としたそうです。この店で、開店翌年の1965年(昭和40年)に、メニューに初めて「チキン南蛮」が登場したそうです。
 当時のスタッフの話では、タルタルソースの「チキン南蛮」が現在の形になり、かつ、人気メニューとなったのは、登場から数年経った1970年(昭和45年)頃であり、当時は、この「洋食屋ロンドン」だけでしか出されていなかったそうです。
 現在は鶏肉は、各部位ごとで売られていますし、買うこともできますが、当時は鶏一羽単位でしか買うことができなかったようです。もも肉はチキンカツや唐揚げにして利用できますが、胸肉は唐揚げにしてもパサパサしてあまり美味しくないため、甲斐さんは、この胸肉をどうするか考えていたようです。
 そんな時、かつて修行をしていた時に食べていたチキン南蛮を思い出したのかもしれません。しかし、それを、さらに一歩進め、新しい味を作り出したのが「タルタルソース」だったようです。一説には、スルメに醤油とマヨネーズをつけて食べることからヒントを得たようです。
 ただ、当時は、海老フライ用のタルタルソースはあったようですが、それがそのままチキン南蛮に合うわけではなかったようです。そこで、甲斐さんはタルタルソースをあちこちから取り寄せて、いろいろなものを試食したようです。
 最終的に「冷やしたサラダ油、酢、卵の黄身を混ぜてマヨネーズを作り、そこにタマネギ、キュウリ、茹で卵などを入れて作り、作ったその日のうちに使いきる。」というスタイルで、チキン南蛮に合うタルタルソースにたどりついたようです。
 おぐら自慢のチキン南蛮は、発売当初から変わらず、鶏胸肉を使っています。柔らかさと大きさを考慮し、生後6カ月以内の鶏肉を使っているそうです。火が通りやすくするのと、見た目を美しくするために包丁を入れて開いてのばし、軽く塩コショウをした後、小麦粉をまぶして卵液をつけ、180度くらいの油で7〜8分揚げ、キツネ色になったら完成となります。
 揚がったチキンは油を切って、素早く甘酢の中に入れて2〜3分浸します。甘酢は蒸発しない程度に温めた状態をキープしており、鶏肉に味が染み込みやすくなっています。このチキン南蛮を皿に盛ったら、最後に特製のタルタルソースをかけて、おぐら自慢のチキン南蛮が完成します。全体的に甘めですが、これがおぐらの味なのだそうです。
 このタルタルソースをかけたチキン南蛮が有名になっていったのは、「おぐら」の店舗展開の影響のようです。「おぐら」は「洋食屋ロンドン」の後、宮崎県内と鹿児島に出店し、1971年(昭和46年)には、初めて延岡市に1号店「延岡おぐら店(現株式会社おぐら大瀬店)」をオープンしました。
 さらに、その後も延岡を拠点に大分にも店舗を展開し、ピーク時には20店舗近くになっていたようです。このような状況下、「洋食屋ロンドン」で人気となっていたタルタルソースのチキン南蛮は、「おぐら」各店舗でも売り出され、それぞれの地域で人気メニューとなり、有名になっていったようです。
 このような経緯がはっきりとしているため、賄い料理を御客様に出せるチキン南蛮に仕立て上げた「直ちゃん」と、現在の主流となっているタルタルソースのチキン南蛮を考案した「おぐら」が、それぞれチキン南蛮の元祖として扱われているようです。
 ちなみに両店とも、鶏肉は胸肉を使用していますが、最近では、脂肪分が多くてボリューム感があるモモ肉を使っている料理店も多いようです。


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