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CATEGORY[韓国]
コメント[ 0 ] 2013年11月17日13:58
 利川(イチョン)とは、韓国、ソウルの南東、約60kmの位置にある京畿道利川市(イチョン市)のことです。「サルパッ」の「サル」は「生の米」のことで、「パッ」は「御飯(炊いたお米)」のことですから「サルパッ」をそのまま翻訳すると「米飯」となります。すなわち「利川サルパッ」は「利川市の米飯」の意味で、そのままでは、何のことか、良く分かりません。
 利川は、918年に高麗(王氏高麗)を建国した王建が936年に南征した際、戦争で勝利したのを喜び、「利渉大川」という言葉の最初と最後の文字を取って「利川」と名付けたのが、地名の由来だそうです。(「利渉大川」とは、「大きな川を渡って、益を得る」という意味だそうです。)
 この由来にもある通り、利川は南漢江の支流が流れる地域で、水に恵まれているため、昔から米どころとして有名だそうです。実際に朝鮮時代には王様に献上する米を収穫していたという歴史もあり、利川の米は美味しいことで有名だそうです。
 「利川サルパッ」とは、この利川の有名な美味しいお米を使った「米飯定食」のことだそうです。この「定食」とは、韓国式の定食、いわゆる「韓定食(ハンジョンシク)」のことです。韓定食とは、数十種類の料理(おかず)がでてくる韓国伝統の定食料理です。大きなテーブルの上に前菜、魚料理、肉料理、副菜、デザートなど、10~30種類もの食べきれないほど沢山の料理が出される形式です。もともとは宮廷料理とか、両班などが食べていた献立を参考にしているようですが、現在では、地方の郷土料理をメインにした料理や、現代風にアレンジした料理など、お店によって、いろいろなパターン(もちろん値段によっても)があるようです。
 おかず(料理)は、お店によっていろいろな組み合わせがあると思いますが、利川サルパッと言うからには、利川の美味しいお米がメインでなくてはなりません。利川サルパッのお店では、伝統的な石釜で炊き上げた利川米が提供されます。ただ、出された御飯を見て、日本と韓国の文化の違いを感じました。
 日本では、「米が美味しい」と言ったら、「米自体の味」が美味しいことを楽しむために、御飯は「白米」で炊かれているものと思います。そのまま食べても美味しいお米を食べ、さらに料理と合わせても美味しいことを楽しむものだと思います。
 ところが、利川サルパッのお店で出されたお米は、黒豆入り石釜ご飯でした。韓国でも白米を食べますが、韓定食で出される御飯は、必ず、豆入りなどの白米ではない御飯でした。日本では、「素材の味を楽しむ」という文化だと思いますが、韓国は、「いろいろな素材の組み合わせを楽しむ」という文化なのだと思います。
 また、石釜御飯は、御飯だけを楽しむのではありません。いわゆる「お焦げのスープ(ヌルンジ)」を作って食べるのも楽しみの一つです。これも日本とは異なる文化ですね。通常は、御飯が石釜で出された場合、御飯をよそうための容器が別に用意されます。そこで、石窯が熱いうちに御飯を、この容器に移します。この時、石窯の内側に少し、御飯を残すことが重要です。残す分量は、個人の好みによって、大目だったり、少なめだったり、好きなようにすれば良いです。そして、少し御飯が残った石窯に、アツアツのお湯を注ぎ、もとから石釜の上に置かれていた木の蓋をします。この時、蓋をしっかり置いてしまうのではなく、少し、隙間を開けることがポイントです。蓋をピッタリとしてしまうと、石窯に入れたお湯が沸騰して、アツアツのお湯があふれ出すことがあるのです。
 ここまでしたら、石窯のことは忘れて、沢山の料理を好きなように、また、別の容器によそった御飯も一緒に食べます。御飯とおかずをたっぷり食べた後、思い出したように先ほどの石窯の蓋を取ると、おこげスープ(ヌルンジ)ができているという訳です。
 今までも、何度か、韓定食を食べる機会がありましたが、正直に言って、普通の韓定食と利川サルパッと、何が違うのか分かりませんでした。しかも、白米の味を比べるわけではありませんので、本当に利川の米が美味しいのかも、良く分かりませんでした。しかし、ソウルなどで食べる韓定食よりも安くて、おかずの種類が多かった(しかも美味しかった)ことは間違いありません。利川に行く機会があれば、是非、利川サルパッを食べるべきだと思います。

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CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ] 2013年11月10日14:06
 北海道の網走市には「オロチョンの火祭り」というお祭りがあるそうです。この「火祭り」ということから、「口から火が出るほど辛い」ということが連想され、唐辛子等で辛く味付けしたラーメンを「オロチョンラーメン」と名付けて、売り出した店があるようですが、発祥がどこなのか、全く分かりません。
 現在では、日本全国、いろいろな場所のラーメン屋さんに辛味の「オロチョンラーメン」や「味噌オロチョンラーメン」というメニューがあります。また、場所によっては「オロチョンラーメン」という店名の店もあるようです。また、お店によっては、オロチョンラーメンの辛さを選べるようになっているところもあるようです。
 もともと「オロチョン族(Orochon,Oroqin)」という民族がいたようです。主に北東アジア、中国領内の内モンゴル自治区や、その近隣のロシア領内に居住していたようです。したがって、北海道に「オロチョン族」が住んでいた訳ではなく、網走の「オロチョンの火祭り」とオロチョン族とは何の関係もないようです。また、オロチョン族と呼ばれる民族の文化に、火祭りと呼ばれるような儀式は無いそうです。
 昔、日本において「オロチョン」という言葉が、アイヌを含む北方民族全体を指す呼称として用いられた時期があったそうで、このことから網走市で行わている火祭りは、「オロチョンの火祭り」と命名されたようです。
 網走市の「オロチョンの火祭り」は、北海道の先住民の祭りだそうです。アイヌの祭りだと勘違いされることが多いようですが、アイヌではなく、すでに滅亡してしまった民族の祭りだそうです。北方系少数民族の先人を偲び、霊を慰めるとともに、郷土の豊かな実りを祈願したことが発祥の由来だそうです。祭壇の前で火を激しく燃やし、その周りでシャーマンや踊り子が踊りまくるのだそうです。シャーマンは太鼓をたたきながら踊り続けるのだそうです。現在では、毎年7月最終土曜日の夜に、モヨロ貝塚と中央公園で開催されており、網走の夏の風物詩となっているそうです。

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CATEGORY[台湾]
コメント[ 0 ] 2013年10月27日10:33
 「銀絲巻」とは、中国式の小型のパンです。中味は糸状の麺線です。これが名前の元となっている「銀絲」だと思われます。もともとは蒸した銀絲巻だったようですが、油で揚げた銀絲巻もあります。もともと、蒸したものは「蒸銀絲卷(ツォンインスージュワン)」、揚げたものは「炸銀絲巻(ヂャーインスージュワン)」と言うそうですが、台湾では、「銀絲巻」と言えば、揚げたものが一般的なようです。
 小麦粉と豆乳で丹念に練り上げて糸状にし、それを薄く伸ばして巻いた中華ロールパンです。もともとはとても大きく、長かったそうですが、これを食べやすい大きさにし、現在では、コッペパンくらいの大きさのものが一般的です。
 揚げたものは、外側が「カリッカリ」としていて、仲はフワフワで柔らかく、ほんのりと甘味があり、とても軽くて美味しいパンです。日本で食べているパンよりも、数倍、軽い感じで、いくらでも食べられてしまいます。

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CATEGORY[韓国]
コメント[ 0 ] 2013年10月20日11:12

 「ホバク」は「かぼちゃ」ですが、「エホバク」は「子供かぼちゃ(早生かぼちゃ)」です。日本にあるようなカボチャとは異なり、ズッキーニのよう細長い形状のカボチャでで、皮はきれいな緑色をしています。身は柔らかく、クセがないので、あっさりしていて非常に食べやすいカボチャです。これに水溶き小麦粉の衣をつけて揚げたものがエホバクジョンで、単品の料理としてよりも、付け合せ(バンチャン)として出されることが多いです。

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CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ] 2013年10月14日15:52
 落雁は、米などから作った澱粉質の粉に水飴や砂糖を混ぜて着色し、花や鳥などの型に入れて押し固めて乾燥させた和菓子の1種で、干菓子の1つです。干菓子とは、乾燥して水気を含んでいない菓子のことで、生菓子に対する言葉です。
 型に押す際、餡や小豆、栗などを入れて一緒に押し固める場合もあります。現在では、お茶請菓子に用いられたり、仏事や祝儀の盛菓子にも使われます。
 落雁の発祥ですが、落雁は、もともと中国、唐から渡ってきた菓子だとする説が有力です。935年(承平5年)、源順が「和名類聚抄」を編纂しましたが、その中で唐菓子が宴で使われるのは「梅枝、桃枝、かっこ、桂心、てんせい、ひちら、ついし、団喜」の8種で、その他、餅(へい)たん、粉熟、環餅、捻頭、結果(かくなわ)、饂飩(うどん)などがあると書かれているそうです。
 この唐菓子の中で、源氏物語の宿木(やどりぎ)の巻に、「宮のお前にも浅香の折敷、高杯どもに粉熟を盛ってまいらせます」と書かれている「粉熟」は「五穀を五色にかたどり、粉にして、餅にしてゆで、甘かずらをかけ、こねあわせて細い竹の筒に入れ、突き出して作ったもの」というものですが、「落雁」(1967年)と言う書物を記している徳力彦之助氏は、「この粉熟こそ落雁の旧い名前である」と主張されています。
 室町時代には、粉熟の作り方が竹筒から押し出す方式から、板枠に押して切り分ける方式に変っており、また、落雁という名前も文献に登場してくるそうです。1364年(正平19年)頃、源親行が「原中最秘抄」を書いていますが、その中で、前述したような粉熟の製法について説明がされています。
 この新しい方式の粉熟が、何故、「落雁」となったのか、不思議です。その由来には、様々な説があるそうです。以下に主な説をまとめます。
1. 中国の菓子に「軟落甘」というものがあり、これの「軟」がなくなって「落甘」から、「落雁」になった。
2. 足利義満の頃の人で本願寺の五世、綽如(しゃくにょ)上人が北陸巡錫の折、この菓子を出されたところ、白地にごまが点々とあるのが、雪の上に雁が落ちるように見えたので、「落雁」と名付けた。
3. 本願寺八世、蓮如上人が石山寺で瀬田のあたりに雁が落ちるのを見て、その翌日に出された菓子にその名前を付けた。
4. 京都の坂口治郎の二代目が蓮如上人に従って富山の井波に住み、有栖川宮の命によって後陽成天皇に菓子を献じたところ、「白山の雪より高き菓子の名は四方の千里に落つる雁かな」という歌を賜り、落雁となった。
6. 江戸時代の後水尾天皇に加賀藩の前田利常が、この菓子を小堀遠州に意匠させ、帝に献上したところ、田に落ちた雁の落ちたところに似たとて、「落雁」のご染筆を賜ったので、御所落雁とした。
7. 明和 (1764年~1772年) の頃に著された「類聚名物考」の中に、「今、らくかんと云う菓子有、もと近江八景の平沙落雁より出し名なり。白き砕き米に黒ごまを村々とかけ入たり。そのさま雁に似たれば也、形は昔の州浜のさまたりしが、今は種々の形出来たり、云々」とあり、粉熟に点々と配したごまが雁に似ているので名付けられた。
 ここで、近江八景は堅田の落雁で、平砂落雁は中国、瀟湘(しょうしょう)八景に由来します。中国、湖南省洞庭湖に注ぐ瀟江と湘江の辺りは風光がよく、その景勝八ヶ所を十一世紀の北宋の文人画家、宋廸(そうてき)が画題として選んだことから「瀟湘八景」と称されました。その内の一つが「平砂落雁」です。この「八景」は日本に輸入され、大ブレイクし、日本でも多くの水墨画が描かれました。狩野探幽も雪中を飛ぶ雁の群れを描いています。
 ちなみに、先述した徳力氏によると、「雁が落ちるという解釈は、当時の堂上人の言葉で雁が死ぬということであり、そのような不吉な名を彼らが付けるはずがない」とのことです。
 また、鎌倉時代には、既に「落雁」という語は、舶来語として存在していたようです。綽如上人と同時代を生きた世阿弥(観世元清:1363年?~1443年9月1日)の謡曲、「善知鳥(うとう)」の一節に「落雁」という言葉が出てきます。当時、世界の先進国であった宋、元の文化にあこがれていた上流階級の人々は、舶来語を使うことが博学を示すものとして流行していたようで、元清も水墨画の「平砂落雁」を見て早速、謡曲に取り入れたようです。
 そして、そのような時代背景の中、この「雪中を飛ぶ雁の群れ」の水墨画を知っていた教養人が、白地に黒ごまが散った粉熟を見て、「これぞ落雁」と命名したのではないか、というのが有力な説です。

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