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2025年05月19日18:39
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CATEGORY[横浜]
コメント[ 0 ] 2013年05月19日10:22
 あまり有名ではないかもしれませんが、横浜の名物だそうです。私が大学に入学した時、大学の構内にある学生食堂に、このメニューがあり、初めて、この料理名を見ました。その時、「サンマー麺?秋刀魚が乗っているのか?それとも、秋刀魚で出汁をとった麺なのか?」と不思議に思い、好奇心にかられて注文したところ、醤油ラーメンの上にモヤシを中心とした具(ほとんどがモヤシで、非常に僅かのニラと豚肉があったような気がします)が乗っていて、さらにトロッとしたアンがかかっていたラーメンで、美味しかったことを覚えています。大学の知人や友人に、名前の由来を聞いたものの誰も知らず、「横浜名物だよ」という情報しか得られませんでした。
 それから25年以上が経ち、現在では、インターネットで簡単に色々なことが調べれられるようになりました。便利な世の中になったと実感しています。
 そこで、サンマーメンをインターネットで調べてみると、名前の由来は不明なようです。現在では、「生碼麺」、「生馬麺」、「三碼麺」などの漢字をあてている店が多いようです。学生時代に見たのは、カタカナ表記か、「生碼麺」だったような気がします。
 ネットでの情報では、「細麺を使った塩ラーメンか醤油ラーメンの上にシャキシャキのモヤシを軽く炒めて、片栗粉を溶いたアンを絡めて乗せた麺料理」との説明が多いようです。簡単に言うと「あんかけモヤシラーメン」という感じでしょうか。また、「横浜の名物」とも、さらに広く「神奈川の名物」ともありましたが、いずれにしても横浜近郊の神奈川県で有名な料理のようです。
 語源については、色々な説が語られていましたが、発祥としては、横浜の伊勢佐木町にある玉泉亭という説と、横浜中華街の聘珍楼という説の2つが有名なようですが、どちらが発祥かは明確になっていないようです。
 「聘珍樓」の西崎総料理長によると、「昔、物資が少なかった時代に、手に入りやすいモヤシと豚肉を使って工夫された料理がサンマーメンなんですよ。」だそうです。さらに西崎氏によると、「昭和5年に聘珍樓の先々代のオーナーが考案しました。海や山の自然の幸を何でも吸収してしまう広東料理の流れを汲んでいます。」とのことです。
 一方、「かながわサンマー麺の会」の張学金会長によると、元々のサンマーメンは、モヤシもトロミもない「まかない食」だったそうです。語源は「生碼麺」で、中国語だそうです。「碼」は、もともとは波止場の意味だそうです。サンマー麺は、元々は、港町で食べられていたラーメンの総称だったそうです。具は白菜が中心で、新米のコックが細切りの練習をするのを兼ねた賄い食だったそうです。
 このため、当時は野菜の細切りが具のメインで、モヤシもトロミもなかったそうです。戦後、物資難の中で満腹感を得たかったため、広東麺の餡を応用してトロミをつけるようになったそうです。デンプンは腹持ちがいい上に、調味料を多く使わない薄味でも麺に絡んで濃く感じるので重宝したそうです。
 また、具がモヤシになっていったのは、当時、中華街の市場通りにモヤシ工場があったので、入手が楽だった事が原因ではないか、とのことでした。
 近年では「生碼麺」という文字も、「上に乗せる」という意味の「馬」を使って「生馬麺」と書くお店が増えてきたようです。
 張学金さんによれば「聘珍樓が発祥」という説についても正しいと思って良いようです。賄い料理だった生碼麺を「お客に出す料理として改良して提供した」という点で、今のサンマーメンの発祥として正しいとのことです。
 また、店によって色々なバリエーションがあることも特に問題とは考えていないようです。客の好みや、店主のこだわりで変えるのが実情で、かながわサンマー麺の会でも、味については決めていないそうです。「具は5種類以上使う」と決めているだけで、それ以外は、特に決まりがないそうです。
 結局、サンマー麺とは、横浜のいろいろなお店の賄い料理を改良してできた麺料理だということでしょう。「かながわサンマー麺の会」では、正式な「サンマーメン」とは、「野菜を多く使ったトロミのある優しい味のラーメン」と定義しており、それ以外の決まりはないようです。
 是非、横浜に行ったら、横浜名物、サンマーメンを食べたいですね。きっと、いろいろなお店で、いろいろな味を見つけることができるでしょう。


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CATEGORY[タイ]
コメント[ 0 ] 2013年05月12日13:55
 「タイスキ」とは、日本語の「すき焼き」から名付けられたそうです。「タイ風スキヤキ」を略して「タイスキ」、さらに現在では「タイスキ」を略して、通常は「スキー」と呼ばれています。むしろ、現在では「スキヤキ」と呼ばれることは、ないようです。
 実際には、日本のすき焼きも、関東式と関西式では、その作り方からして、かなり違うのですが、少なくとも、タイスキは、いずれの日本のすき焼きとも似ていません。むしろ、「よせ鍋」などと紹介されていることもありますが、私の感覚では、「タイ風しゃぶしゃぶ」です。
 鍋の中に張られた特製のダシ汁を煮たてて、その中に野菜、肉だんご、魚のつみれ、肉などの様々な食材を入れて、適当に煮込んで、適当に食べます。確かに、よせ鍋と言えないこともないのですが、タイの人に聞くと、「しゃぶしゃぶ」だと説明されますので、私は「タイ風しゃぶしゃぶ」といたします。
 日本のしゃぶしゃぶでは、ポン酢やゴマだれなどが主流ですが、やはり、タイですので、タイ独特の辛いタレにつけて食べるのがタイ式です。数あるタイ料理のなかで、もっとも多くの日本人の口に合う料理だと言えるのではないでしょうか。何しろ、ただのしゃぶしゃぶですから、辛い料理が口に合わない人は、出汁で煮た具材をそのまま食べれば、辛いなんてことはありません。お店によっては醤油などもあるようですので、醤油味で日本風の味付けにして食べることもできるようです。タイのタレは、自分で唐辛子を入れたり、ニンニクを入れたり、さらに味付けを変えるのが一般的ですから、ここでも自分好みにして食べれば、タイ式でも問題なく食べられるかもしれません。
 タイスキは、一般家庭でも作って食べるようですが、専門のレストランがありますので、そちらに行ったほうが、手軽に美味しいタイスキを食べられるということで、タイスキ料理店は、かなり繁盛しているようです。タイで有名なお店には、コカ・レストラン(COCA)とMKの2つのチェーン店があります。これ以外にもカントン、テキサスなどが有名ですが、タイの人には、MKが人気のようです。もちろん、店の雰囲気や材料にもよると思いますが、タレの味と料金で人気に差が出ているようです。MKはタレが少し甘めで、値段は比較的、安いので若者が多いようです。コカレストランは、MKよりも20%くらい値段が高めの設定で、高級食材もふんだんに用意されているため、大人の熟年カップルや接待などに利用されているようです。店内も豪華な造りで、VIPルームもあるそうです。
 「タイスキ」の語源を調べてみると、「タイ風すき焼き」と言われるのですが、日本人にとっては「すき焼き」と「タイスキ」が同じものだとは、とても思えません。一説では、坂本九の「上を向いて歩こう」という歌に由来するそうです。「上を向いて歩こう」は、世界中で大ヒットした日本の歌ですが、海外では「SUKIYAKI(すきやき)」という曲名で販売していました。この「Sukiyaki Song」が大流行した際、タイで生まれた鍋料理が日本の鍋料理に近い形態であったため、「日本の鍋料理」として紹介され、その知名度にあやかって「タイ風すき焼き」と名付けられたという説です。少なくとも、「タイスキ」という料理と「すき焼き」とは全く異なる鍋料理であることから、この説は、信ぴょう性があるように思います。
 また、タイでも、タイスキを食べ終わった後に御飯や玉子を注文して、おじやを作って食べることは可能です。お店の人が作ってくれるところもあるし、自分で作るところもあるようです。味付けにこだわるのであれば、自分で作った方が、安心ですよね。

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CATEGORY[台湾]
コメント[ 0 ] 2013年05月07日22:55
 「茶葉蛋」とは、いわゆる「煮卵」です。玉子を煮るのに紅茶、緑茶、ウーロン茶、プーアール茶などの茶葉を使用するため、「茶葉蛋」と呼ばれています。また、お茶と一緒に五香粉と呼ばれる混合香辛料を使う場合は、五香茶葉蛋とか、五香蛋などと呼ばれる場合もあるそうです。
 台湾や中国では、おやつや軽食として食べられているほど一般的な食べ物です。台湾のコンビニエンスストアでは、必ず、レジの横あたりで売られています。また、真空パックに入ったものが、スーパーマーケットなどでも売られています。
 茶葉の選定から、加える香辛料などの組み合わせなどから、そのレシピは無数にあるようです。基本的なところでは、固めのゆで卵を作ることと、卵の殻をスプーンなどで軽くいて、ヒビをつけることが重要だそうです。このヒビから、茶葉の味が玉子に染み込んでいくのですね。私は、煮ている間に、自然にヒビ割れするのかと思っていましたが、わざとヒビを入れていたのですね。
 そして、ウーロン茶、プーアール茶や紅茶などの葉と、八角、シナモン、五香粉、花胡椒、醤油、塩、砂糖などを入れ、弱火でコトコトと煮ます。家庭で作る場合には、この他にもフェンネル、クローブ、紹興酒、クコの実、松の実、ニンニク、生姜など、いろいろな材料を使ったオリジナルのレシピがあるようです。
 1時間程度煮込んだ後、一晩、寝かせて、さらに翌日、1時間煮込んで、また寝かすなど、ゆっくりと時間をかけて玉子の中間でしっかりと味を浸み込ませるそうです。

CATEGORY[韓国]
コメント[ 0 ] 2013年04月24日16:39
 「パ」は韓国語で「ネギ」のことで、「ジョン」とは、「魚介、肉、野菜などを、小麦粉を水で溶いたものと一緒に焼いた料理」のことで、「パジョン」は、日本のお好み焼きに似た料理です。日本では、一般的に「チヂミ」という名称で知られているようですが、韓国では通常、「ジョン」と呼ばれています。
 韓国では、ごく一般的なジョンが、「パジョン」です。日本で、簡単に「チヂミ」と呼んでいる食べ物が、この「パジョン」に当たると思います。
 ネギが甘くて美味しい慶尚南道釜山市の東莱(トンネ)のパジョンが特に有名で、「東莱パジョン」の名は韓国中で広く知られています。東莱には、4代も続く老舗のパジョン専門店があり、今も営業を続けています。トンネの名産品である細ネギと釜山の豊かな海産物を用いたトンネパジョンは、陰暦3月3日の節句(サムジンナル)に、王に献上されていたそうです。

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CATEGORY[横浜]
コメント[ 0 ] 2013年04月14日21:30
 これは、中華料理の焼売でもシューマイでもありません。正式名称が「シウマイ」という日本の料理です。と言っても、もちろん、元は中華料理の焼売で、横浜市西区に本社がある(株)崎陽軒の商品名です。
 崎陽軒は1908年(明治41年)4月に創業した食品会社です。4代目の横浜駅長だった久保久行が、退職後、後輩の高橋善一(後の東京駅長)の働きによって、妻である久保コト(旧姓、野並)の名で、横浜駅構内営業の許可を受けて創業したのが始まりだそうです。ちなみに、当時の横浜駅とは、現在のJR、桜木町駅です。当時は、駅構内に開いた売店ということで、牛乳、サイダーなどの飲み物と、寿司や餅などを売っていたそうです。
 1915年(大正4年)、横浜駅が平沼材木町に移転したのに伴い、匿名組合崎陽軒と改組し、支配人として大塚浅太郎が就任したそうです。この時は駅弁の販売を始めており、上弁当が25銭、並弁当15銭、お茶4銭だったそうです。半年後、大塚が過労のため体調を崩し、野並茂吉が新しく支配人に就任、さらに1923年(大正12年)5月15日には匿名組合から合名会社に法人化したそうです。
 野並は、小田原には蒲鉾、沼津には羽二重餅、静岡にはワサビ漬、浜松にはウナギというように、土地ごとに名物があり、有名になっていたものの、崎陽軒には特色がないことを心配していたそうです。そこで、久行の孫である久保健と一緒に横浜名物を作ろうと考えたそうです。
 1927年(昭和2年)、当時、有名になっていた横浜南京街(現在の横浜中華街)を食べ歩いていた時、どこの店でも突き出しとして出されていた「シューマイ」に目をつけたそうです。汁がないため弁当の折詰に適していたものの、やはり熱々が美味しく、冷めてしまうと、とても食べられる物ではなかったそうです。
 そこで、南京街の点心職人だった「呉遇孫」をスカウトし、改良を重ねた結果、1928年(昭和3年)3月、豚肉と北海道産の帆立貝の貝柱でねり合わせた、冷めても美味しいシウマイが完成したそうです。大きさも、揺れる車内でこぼさないで食べられるように一口サイズにするなど、工夫したそうです。グリーンピースが上に乗っているのではなく、中に練り込んであるのも、グリーンピースが焼売から落っこちてしまわないための工夫だろうと思います。当時は1箱(12個入り)、50銭だったそうです。
 発売当時はあまり売れず、横浜名物として全国に知られるようになるのは、戦後になってからのことだそうです。1950年(昭和25年)に「シウマイ娘」が登場すると、加速度的に知名度が上がり、販売数量が増えていったそうです。ちなみに、シウマイ娘とは、横浜駅のホームでシウマイを販売していた女性販売員のことです。赤い服を着て、タスキをかけ、手籠にシウマイを入れて「シウマイはいかがですか」と車窓から売り歩くスタイルで、当時は大人気だったようです。
 崎陽軒は何故、「シューマイ」でも「焼売」でもなく「シウマイ」と表記するのでしょうか。これは開発した野並茂吉の発音によるそうです。野並茂吉が「焼売」のことを「シューマイ」でもなく、「シュウマイ」でもなく、「シウマイ」と言っていたそうです。そこで、この「シウマイ」に「旨い」もかけて、「シウマイ」とすることにしたそうです。
 冷めても美味しいシウマイですから、これを活かして、1954年(昭和29年)には、シウマイが入ったシウマイ弁当も発売されました。駅弁としての「シウマイ弁当」も有名になっていったようですが、私としては「シウマイ」を買ってきて、家で食べるのが好きです。冷めても美味しいですが、温かくても、もちろん美味しいです。これがビールに合うのですよね。現在は、関東地区であれば、駅やデパートなどで購入できるようです。横浜の御土産としても、普段の食事にも最適な一品だと思います。
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