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CATEGORY[横浜]
コメント[ 0 ] 2013年04月14日21:30
 これは、中華料理の焼売でもシューマイでもありません。正式名称が「シウマイ」という日本の料理です。と言っても、もちろん、元は中華料理の焼売で、横浜市西区に本社がある(株)崎陽軒の商品名です。
 崎陽軒は1908年(明治41年)4月に創業した食品会社です。4代目の横浜駅長だった久保久行が、退職後、後輩の高橋善一(後の東京駅長)の働きによって、妻である久保コト(旧姓、野並)の名で、横浜駅構内営業の許可を受けて創業したのが始まりだそうです。ちなみに、当時の横浜駅とは、現在のJR、桜木町駅です。当時は、駅構内に開いた売店ということで、牛乳、サイダーなどの飲み物と、寿司や餅などを売っていたそうです。
 1915年(大正4年)、横浜駅が平沼材木町に移転したのに伴い、匿名組合崎陽軒と改組し、支配人として大塚浅太郎が就任したそうです。この時は駅弁の販売を始めており、上弁当が25銭、並弁当15銭、お茶4銭だったそうです。半年後、大塚が過労のため体調を崩し、野並茂吉が新しく支配人に就任、さらに1923年(大正12年)5月15日には匿名組合から合名会社に法人化したそうです。
 野並は、小田原には蒲鉾、沼津には羽二重餅、静岡にはワサビ漬、浜松にはウナギというように、土地ごとに名物があり、有名になっていたものの、崎陽軒には特色がないことを心配していたそうです。そこで、久行の孫である久保健と一緒に横浜名物を作ろうと考えたそうです。
 1927年(昭和2年)、当時、有名になっていた横浜南京街(現在の横浜中華街)を食べ歩いていた時、どこの店でも突き出しとして出されていた「シューマイ」に目をつけたそうです。汁がないため弁当の折詰に適していたものの、やはり熱々が美味しく、冷めてしまうと、とても食べられる物ではなかったそうです。
 そこで、南京街の点心職人だった「呉遇孫」をスカウトし、改良を重ねた結果、1928年(昭和3年)3月、豚肉と北海道産の帆立貝の貝柱でねり合わせた、冷めても美味しいシウマイが完成したそうです。大きさも、揺れる車内でこぼさないで食べられるように一口サイズにするなど、工夫したそうです。グリーンピースが上に乗っているのではなく、中に練り込んであるのも、グリーンピースが焼売から落っこちてしまわないための工夫だろうと思います。当時は1箱(12個入り)、50銭だったそうです。
 発売当時はあまり売れず、横浜名物として全国に知られるようになるのは、戦後になってからのことだそうです。1950年(昭和25年)に「シウマイ娘」が登場すると、加速度的に知名度が上がり、販売数量が増えていったそうです。ちなみに、シウマイ娘とは、横浜駅のホームでシウマイを販売していた女性販売員のことです。赤い服を着て、タスキをかけ、手籠にシウマイを入れて「シウマイはいかがですか」と車窓から売り歩くスタイルで、当時は大人気だったようです。
 崎陽軒は何故、「シューマイ」でも「焼売」でもなく「シウマイ」と表記するのでしょうか。これは開発した野並茂吉の発音によるそうです。野並茂吉が「焼売」のことを「シューマイ」でもなく、「シュウマイ」でもなく、「シウマイ」と言っていたそうです。そこで、この「シウマイ」に「旨い」もかけて、「シウマイ」とすることにしたそうです。
 冷めても美味しいシウマイですから、これを活かして、1954年(昭和29年)には、シウマイが入ったシウマイ弁当も発売されました。駅弁としての「シウマイ弁当」も有名になっていったようですが、私としては「シウマイ」を買ってきて、家で食べるのが好きです。冷めても美味しいですが、温かくても、もちろん美味しいです。これがビールに合うのですよね。現在は、関東地区であれば、駅やデパートなどで購入できるようです。横浜の御土産としても、普段の食事にも最適な一品だと思います。
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