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CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ]TB[ ] 2011年09月02日13:01
 枝豆は、大豆になる前の未熟なうちに収穫します。未熟な大豆を食べるのは日本独自の食文化だそうです。この習慣が中国、台湾、タイなどへも伝わっていきました。
 大豆は弥生時代に水稲とともに日本に入ってきたと言われています。「古事記」、「日本書紀」や「正倉院古文書」など、奈良時代の文献にも記載があることから、古くから栽培されていたようです。しかしながら、「枝豆」としての食用についての起源ははっきり分かっていません。
 奈良時代に度重なる飢饉のため、収穫前の大豆を食べてしまったとか、平安時代に希少価値が高い食べ物として貴族達に珍重されていたなど、いろいろな説があるようです。いずれにしても、平安時代頃から、このような食べ方があったようです。
 そして、江戸時代には庶民の味として枝豆が定着していたようです。「和漢三才図絵」には、枝豆の利用法が記述されています。当時は、夏になると枝豆売りが現れ、それを買った人々が、歩きながら枝豆を食べる姿が見受けられたようです。
 さらに、旧暦9月13日のお月見に枝豆を供える風習が広まったのもこの頃で、「豆名月」の由来となっています。
 昔は、田んぼの畦道で作られていたため「あぜまめ」と呼ばれていました。昭和16年の農林統計で初めて「未成熟大豆」という名称が登場しています。枝付きで売られていたため「枝豆」と名付けられたそうですが、実は、これは昭和46年のことだそうです。
 枝豆は、生長過程で収穫されるため、食品分類では「豆」ではなく、「野菜」に分類されます。栄養素を見てみると、タンパク質や食物繊維、ビタミンB1のほか、大豆にはないビタミンAやビタミンCも含まれています。つまり枝豆は、豆と野菜の両方の特徴を併せ持っているということです。また、生でも冷凍でも、栄養価に差はないと言われています。
 ビタミンCは熱に弱いため、茹でると損失してしまうのですが、枝豆の場合、サヤがビタミンCを守ってくれるそうです。食べる時には捨ててしまうサヤが、実は、役に立つのだそうです。
 また、枝豆はタンパク質が豊富なのだそうです。食品に含まれるタンパク質は、すべて異なったアミノ酸の構成から成り立っています。アミノ酸と言えば、疲労回復効果がよく知られていますが、枝豆にはお酒を飲むときに有効な、メチオニン、グルタミン、アルギニンという3つのアミノ酸があります。これらが肝臓を守り、二日酔いを予防してくれるのだそうです。ということは、ビールのつまみには枝豆が最適とうことですね。

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CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ]TB[ ] 2011年08月10日13:22
 春雨は、中国をルーツとする乾麺で、朝鮮半島、日本、タイ、ベトナムなどアジア一帯に伝播しながら、それぞれの土地で採れる原材料を使って独自の変容をとげてきたそうです。
 中国では春雨の原材料として緑豆(りょくとう)が使われているようです。一方、朝鮮半島ではサツマイモ、日本ではジャガイモ、タイやベトナムでは米が多く使われているようです。その他にもトウモロコシ、タピオカ、ドングリ、葛などを使った春雨も作られているようです。
 春雨は、それぞれの原材料からとった澱粉で生地を作り、熱湯の中に押し出して作ります。熱湯の中で茹でられた春雨は、冷水でしめられた後、一度、冷凍します。この時、春雨の麺の中にある水分が凍結し、その後、天日乾燥させることによって、この水分が蒸発し、麺の中に気泡が発生します。春雨を料理した際、この気泡の中に煮汁や出汁が浸み込むため、美味しい春雨料理ができるのです。
 緑豆はインド原産の豆で、中国、インド、東南アジア、アフリカなど、様々な地域で食べられている小豆の仲間です。中国では、緑豆は、古くから漢方薬として利用されてきたそうです。緑豆の効能は、解熱、利尿、解毒などだそうです。炭水化物、カルシウム、カリウム、ビタミンB1などの栄養成分を含んでおり、疲労回復や 食欲不振時の栄養補給にも良いといわれているそうです。緑豆春雨の特徴は、ノド越しの良さ、コシの強さと、熱を加えても煮くずれしにくいという点です。このためサラダ、炒め物、煮物、スープ、鍋物など、様々な料理に利用されています。
 中国では「粉絲(フェンスー)」または「粉条(フェンティアオ)」と言うそうです。台湾では「冬粉」と書き、北京語で「ドンフェン」、台湾語で「タンフン」と呼ぶそうです。
 韓国では春雨のことを「唐麺(タンミョン)」と呼びます。これは、「唐(昔の中国)の麺(唐から来た麺)」、という意味だと思われます。緑豆やサツマイモ澱粉を原料として作った麺は、朝鮮半島でも古くから食べられてきたようですが、乾麺として商品化されるようになったのは、1912年に日本人が平壌に唐麺工場を作ったのが最初だといわれています。当初は、中国人から導入した技術をもとに、中国式の緑豆春雨を作っていたようですが、朝鮮半島ではサツマイモが多く採れたことから、次第にサツマイモ澱粉で作った春雨に変わっていったようです。
 現在、韓国で市販されている春雨は、サツマイモを原料としたものが主流です。日本の春雨よりも、太めで黒っぽく、弾力があるのが特徴です。韓国ではチャプチェ(春雨と野菜の炒め料理)、チムタッ(鶏肉、野菜と春雨を煮込んだ料理)などの他にも、鍋ものやスープなどに入れたり、マンドゥ(餃子)やスンデ(腸詰め)の具としても使われており、良く使われている食材の一つです。
 日本では、サラダや煮物に入れられたり、鍋料理などにも使われています。何故、日本で「春雨」と呼ばれるようになったかと言うと、春雨を天日乾燥させている時の様子が「春の雨」のように見えるから「春雨」と呼ばれるようになったようです。
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CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ]TB[ ] 2011年07月10日13:07
「ずんだもち」とは、茹でた枝豆をすり潰し、砂糖と塩で味付けした餡をからめた餅です。緑色の餡から抹茶味と間違われることもあるようですが、全く異なる味わいです。旧伊達藩地域周辺で作られており、主に、東北地方の山形県や宮城県で昔から食べられてきた伝統的な和菓子です。
「ずんだ」とは、豆を潰す意味の「豆打(ずだ)」が訛った言葉だと言われています。また、仙台藩伊達政宗公の陣中で、太刀で枝豆をすり潰したことが起源という説もあり、この説では、もともと「陣太刀」であった言葉が変化して「ずんだ」になったとしています。
さらに、地域によっては「じんだ」、あるいは「じんだん」とも呼ばれるため、「甚太」という人が作ったとする説もあるようですが、陣太刀説も甚太説も有力とはされていません。
広辞苑によると、「じんだ(糂粏、糝汰)」という言葉があり、その意味は、「枝豆を茹でてすりつぶし、塩、酒、砂糖などで調味したもの。」とあります。(これ以外にも、「じんだ」には、「ぬかみそ。じんだみそ。また、五斗味噌(ごとみそ:鎌倉時代の頃に用いられた味噌のひとつ)」という意味があります。)
この「じんだ(糂粏、糝汰)」という言葉が「ずんだもち」よりも先にあったのであれば、単に「じんだ」を乗せた餅で「じんだもち」と呼ばれていたものが訛って「ずんだもち」になったように思えます。どなたか、どちらの言葉が先か、教えてください。
また、伊達政宗公が藩内の農地開墾に巡視に回った際、訪問先の村で差し出された餅を気に入って、これを「仙台藩豆打餅」と名付け、藩内に広めたという説もあるそうです。この説では「豆打(ずだ)」と呼ぶようで、命名者が伊達政宗公ということになります。
いずれにしても、「ずんだもち」が広がっている地域が伊達藩周辺であることから、政宗公であったかはともかく、伊達家がからんでいることは間違いないと思われます。この点からは、「仙台藩豆打餅」という説は有力な気がします。もともと「じんだ」というものがあって、それを乗せた「じんだもち」を伊達正宗が気に入って「仙台藩豆打餅」と名付け、藩内に広めた、というのはどうでしょうか。筋が通るような気がします。

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CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ]TB[ ] 2011年06月12日17:12
 カステラは、小麦粉に鶏卵と砂糖、水飴とを混ぜて焼いた菓子です。卵に砂糖を加え泡立てた後、水飴を加え、更に攪拌します。泡立てたものに水飴を加えることで生地がしっとりするそうです。その後、この生地に小麦粉を加え、軽く攪拌し、枠紙を貼った木枠の中にこの生地を流し込み、高温の釜で焼き上げると完成です。
一般的な説では、16世紀の室町時代末期に、ポルトガルの宣教師によって長崎周辺に伝えられたとされています。当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものだったようです。しかし、乳製品を用いないため、当時の日本にも受け入れやすかったようです。このため日本に合わせた形で工夫、改良がされたものの、現在まで、伝わっているのだと思われます。
名前の由来は、カステラを持ってきたポルトガル人に、その菓子の名前を聞いたところ、ポルトガル人が「カスティリア(Castilla)のお菓子だ」と言ったのに、それを「カスティリア」という名前のお菓子だと勘違いした、という説が一般的です。ポルトガル語では、「カスティリア(Castilla)」の発音が「カステーラ(Castela)」なのだそうです。
実際に、ポルトガルには「カステラ」という名のお菓子は無いそうです。それでは、一体、どのような菓子が、カステラの元となったのでしょうか。諸説がありますが、パン・デ・カスティーリャ(pão de Castela:スペインのカスティーリャ地方のパン)、ビスコーチョ(Bizcocho:スペインのお菓子。元々は乾パン状で、船乗りの保存食でしたが、16世紀末頃に柔らかく焼く方法が生まれているそうです。)や、パン・デ・ロー(pão de lo:ポルトガルの焼菓子。卵に砂糖と小麦粉を混ぜあわせた生地を、陶器などの型に入れてオーブンで焼きあげたものです。現在のカステラと最も違うところは、中心部の焼き加減です。柔らかい焼き加減から、半生のようなクリーム状まで、色々とあるそうです。)などだと言われています。
原料や製法から考えると、パン・デ・ローが近いようですが、この場合は「カステラ」という名前とのつながりが分からなくなってしまいます。実際には、いろいろな種類のお菓子が持ち込まれたのではないでしょうか。いろいろな菓子と名称が混在している中、たまたま「カステラ」という名称と「パン・デ・ロー」が混同されてしまったのかもしれません。正しいことは分かりませんが、ポルトガル人から教えられ、日本人の味覚に合わせて発展したものが現在のカステラだと言えるのではないでしょうか。
日本のカステラは長崎が本場とされています。長崎県長崎市の福砂屋が日本で最初にカステラの製造、販売を始めたそうです。福砂屋は1624年、寛永元年の創業です。1983年(昭和13年)に長崎市が刊行した「長崎案内」という冊子には、「寛永元年に、殿村某、葡萄人(ポルトガル人)より本品製法を伝授せられたもので原名をカストルボルと謂ふのである。カストルは西班牙の州名で、ボルは同国語の菓子の意だといふ。漸次改良を加えられ、その風味は他に模倣することの出来ない独自のもので、現今に至っては、本邦に於ける名菓の一つとなったのである」との記述があるそうです。
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CATEGORY[日本]
コメント[ 0 ]TB[ ] 2011年06月01日14:52
 アン肝とは、「アンコウの肝」のことです。酒の肴として食べられることが多いですが、海のフォアグラとも例えられ、アンコウの美味しさを凝縮しているともいえます。江戸時代には5大珍味「三鳥二魚」(鶴、ひばり、鷭、鯛、鮟鱇)の1つに数えられていたほどです。
あん肝は、鮟鱇の肝臓の部分で、他の7つ道具と呼ばれる部位とは異なり、高脂質、高カロリーな食材です。まるでチーズのような味わいは、フォアグラよりも美味しいとも評価されます。ドブ汁やアンコウ鍋のスープとしても利用されますが、単品で濃厚なアンコウの旨みを堪能するのも良いでしょう。
ただし、鮟鱇の肝には、食物連鎖の過程でアニサキス(鮟鱇が日常的に餌としているイカなどの一般的な魚介類に混入しやすい寄生虫)が入る場合があり、あまり生食には適さないとされています。このため、鮟鱇の肝を60℃で1分間以上加熱するか、-20℃以下で24時間以上冷凍する必要があるとされています。
アニサキスに関しては、寿司ネタにもなっているイカにも付着していることがあるもので、正しく処理していれば全く問題はありません。鮟鱇が危険ということではありません。ただしイカの場合は、漁師が市場に出荷する前にアニサキスを手で取っていますが、アンキモは、このような作業を出荷前にすることができませんので、正しい処理が必要です。
一般に、生のアンコウの肝を蒸して、その後、食べやすい大きさに切って食べます。もみじおろしや、ポン酢で食べます。

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