![]() |
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
![]() |
![]() |
◎火鍋(中国)
火鍋は、中国人の食文化において広く知られている鍋料理です。鍋に火をかけ、肉、魚介類、野菜などをスープで煮込みながら食べる中国の鍋料理です。現在では中国大陸に限らず、香港、マカオ、台湾、シンガポール、マレーシアなどの華僑社会でも食されており、その他、日本やアメリカなど世界中の中華街や火鍋専門店などの中華料理店においても提供されています。
火鍋は、中国では長い歴史を持ち、各地でさまざまに発展した独特の料理です。古くは「古董(グウトン)羹」とも呼ばれていたそうです。煮たったスープに食材を入れたときの「ゴトゴト」という音から名づけられたのだと言われています。鍋に食材を入れて煮る食べ方から「中国のしゃぶしゃぶ」と呼ばれることもあるようですが、北京のシュワンヤンロウという羊肉の火鍋が京都に伝わったのが日本のしゃぶしゃぶのルーツのようです。
火鍋が何時ごろできたのか、はっきりしたことは分かっていないようです。ただ中国の食文化の歴史を見ると、おおよそ3千年くらい前に発明された「鼎」という食器と関係があるようです。これは鉄製の大鍋で3本か4本の足で支えられています。当時は祭祀において、牛や羊の肉をその中で煮て神にささげた後、皆で分け合って食べたようです。これが火鍋の最も古い形といえます。
鍋自体の発展と共に、味付けも工夫されていったようです。三国時代、魏の文帝のとき「王熟釜」という記録があるそうです。これは鍋の中を5つに分け、それぞれに別の味(五味)の食材を入れた鍋料理です。現在のオシドリ鍋(鍋を2つに仕切り、赤く辛い麻辣湯と白くあっさりとした白湯を入れた火鍋)の基になったと言われています。
また、南宋時代、林洪の「山家清供」には、次のような話が載っているそうです。「林洪が友人と一緒に武夷山の止止大師を訪ねたとき、山を登っている途中で大雪になりました。そこに野兎が1匹飛び出してくると、雪で足を滑らし、下の岩にぶつかって気を失ってしまいました。林洪はこれを捕まえ、焼いて食べようと考えて止止大師にどんなふうに料理したらよいか尋ねました。止止大師は「鍋に湯を沸かし、兎肉を薄切りにしてしゃぶしゃぶし、いろいろな調味料をつけて食べたらよい。」と教えます。林洪がその通りに調理すると非常に美味しく、皆で楽しく談笑しました。」という話です。普通に焼いて料理するよりも鍋にした方が美味しいということが広く知られていたということです。
火鍋が最も盛んだったのは清の時代です。「清代档案史料叢編」に「千叟宴」の記録が記載されています。これは1796年に宮中で催された宴で、用意された火鍋は1550以上、集まった人は5000人以上という前例のない大規模な「火鍋宴」でした。
火鍋は肉、魚、野菜、香辛料など豊富な食材を使うので、様々な栄養素が一度に摂れる理想的な料理といえます。その土地の風土に合った食材を使うことで、健康維持にも役立ってきたのです。
火鍋は中国全土に見られ、その種類は多く、使用される食材や味付けも様々です。代表的なものに北京火鍋(北方火鍋)、河南火鍋、川味火鍋(重慶火鍋など四川省)、湖南火鍋、貴州火鍋があります。
この他にも香港やマカオで食される火鍋や、台湾の火鍋もあります。また、麻辣味と呼ばれる辛味をベースにした火鍋は特に「麻辣火鍋」と呼ばれ、中国四川省や台湾の火鍋に多くの種類があります。
PR |
![]() |
![]() |
回鍋肉は、四川料理で最も人気があり、四川料理の王とも呼ばれる四川省西部の家庭料理です。「回鍋肉」の「回鍋」とは、「いったん茹でたものを再び炒める調理法」のことで、「肉」は、中国では「豚肉」を表す。牛肉を使った料理であれば、「牛肉」と書きます。
回鍋肉は、豚肉を塊のまま茹でて、一度、冷ましてから薄切りにして野菜と炒め合わせ、豆板醤、豆豉、甜麺醤、醤油、老酒などで味付けします。四川では、野菜として葉ニンニク(蒜苗)、生姜、ネギなどの薬味だけを用いるのが一般的です。これらの香味野菜が、豚肉の美味さを引き出し、美味しい一品に仕上げられています。
日本で食べられている回鍋肉は、キャベツと豚肉を豆板醤や味噌などで甘辛く炒めた料理として知られていると思います。これは四川省出身の中華料理人、陳建民氏が日本で回鍋肉を作る際に、日本で手に入れやすく、日本人の口に合うキャベツに変更したことが原因のようです。また、手間を省くため、最初から薄切りの豚肉を使うようにレシピを変更したそうです。
この回鍋肉が日本で広まっていったため、日本では回鍋肉と言えば、豚肉とキャベツの味噌炒めみたいに思われているのかもしれません。日本の回鍋肉は、本場の回鍋肉と比べ、甜麺醤を多めに使っており、甘辛い味になっています。
ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 3ヵ月、6ヶ月、12ヶ月…。好きなだけホームページやろうよ。 月額500円(税抜)からのホームページサービス、プチ。 貴女の空いた時間を有効活用してみませんか? 初心者・中高年の方でも安心なお仕事です。 |
![]() |
![]() |
中国料理で最も有名な炒飯だそうです。揚州炒飯とは、玉子炒飯をベースにして、豪華な食材が入った五目チャーハンのことだそうです。日本の五目炒飯の原型だと言われているようです。
揚州炒飯は江蘇省の揚州市を中心とした地域を発祥としていますが、元々のルーツは、「砕金飯」と言われているようです。隋の時代の「謝諷食経」という書物に「越国食砕金飯」という記述があり、これは「越国(浙江)では砕金飯(金のかけらのような飯)を食べている」という意味で、揚州付近で食べられていた蛋炒飯(卵チャーハン)のことだと言われています。
「砕金飯」は揚州に伝わり、改良され、具材も増えていき、今日のような揚州炒飯になったのだそうです。したがって、御飯の一粒ずつが卵液に包まれ、炒めると金色に輝くので、俗に「金裹銀(金で銀をくるむ)」と言われているそうです。そして、現在、揚州炒飯と言われているのは、非常に多くの材料を用いた豪華な炒飯です。
しかしながら、これと言った決まりがなく、揚州以外の地域では卵、青ネギ、ハムなど、普通の材料を適当な種類、使用した炒飯を「揚州炒飯」と呼んでいるようです。
そんな状態を見るに見かねて2002年3月、揚州の料理人の団体である「揚州調理師連合会」が「揚州炒飯の基準」というものを制定し、発表したそうです。その冒頭には、次のように書かれていたそうです。「我々は「揚州炒飯」の名誉を守るために、本物の「揚州炒飯」の基準を発表します。材料、製法、技術など、全てこれに基づいて作ることをお願いしたい。また、「揚州炒飯」にも色々な種類がありますが、これは最も標準的な「五目炒飯」に適用されるものです。これによって全国の揚州炒飯が統一の品質を保ち、ブランドが守られることを我々は望むものです。」
そして、その内容は以下のように記載されていました。「材料」には「1人分。上等な米500g、地鶏の卵4つ、海鼠(ナマコ)20g、地鶏腿肉30g、上等な中華ハム10g、貝柱10g、川海老むき身50g、干し椎茸20g、新鮮な筍30g、グリーンピース10g、さらに調味料として葱のみじん切り10g、塩6g、鶏ガラスープ100g、サラダ油60g」と規定されていたそうです。さらに「製法」、「技術要求」、「費用・値段」と続いており、費用、値段は「コストは材料、ガス代を含め12.99元/1人分。揚州での市場価格は、25元とする」とまで規定されていたそうです。
この基準を作るにあたり「揚州調理師連合会」は、大勢の学者や研究家を招き、プロジェクトを結成し、何ヶ月もかけて揚州炒飯を徹底的に科学分析したそうです。揚州の調理師連合会の熱意には、頭が下がる思いがします。しかしながら、自己主張が強い国、中国です。全土から、ものすごい反発が出たのだそうです。「辛いものが好きな四川、甘い味が好きな上海など、地方によって味付けや好みの具材が違うのに1つの価値観を押し付けるのはおかしい!」という主張のほか、「値段まで、勝手に決められるなんて余計なお世話だ!」という反論が多く出たそうです。
この騒ぎは「国家工商総局」という、この分野の国家最高レベルの窓口に達し、総局は次のような見解を出しました。「揚州炒飯は、たしかに商標として登録されてはいるが、それは商品名としてであって、料理名としてではない。すなわち、各レストランでメニューとして出すのは自由である。」とのことでした。
さらに、中国全国調理師協会副会長である馮恩源氏が「揚州炒飯は、すでに一種の大衆的食品であり、そもそも商標登録すべきではない。各地の色があっていいし、統一化する必要はない。」とコメントしたそうです。結局、揚州炒飯は、具が多い炒飯として、いろいろな地方で独自に作られている炒飯として存在しています。
何故、揚州炒飯は豪華な食材を使った炒飯になったのか、という点について、次の説話が有名なようです。
清の第6代皇帝、乾隆帝が巡視で揚州を訪れた時、ある農村で食事を所望したそうです。突然のことだったので、農民は、残り物の御飯を卵とネギと一緒に加えて出したそうです。乾隆帝に、その料理の名前を尋ねられたものの、あり合わせの材料で作った料理に名前があるはずもなく、適当に「揚州の炒飯です」と答えたそうです。その後、宮廷に戻った乾隆帝が、揚州で食べた炒飯をもう一度食べたいと言い出し、さすがに卵とネギだけではどうかと考え、豪華な食材を加えた炒飯を作ったそうです。それが、宮廷では、「揚州炒飯」という名前になり、豪華な食材が使われた炒飯が「揚州炒飯」として、広く知られるようになったという話です。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() ★☆★☆★☆ ナウでヤングなレンタルサーバー!ロリポップ! ☆★☆★☆★ 月額100円(税抜)~容量最大120GB!大人気のWordpressも簡単インストール★ 月額1,000円(税抜)から、高速・多機能・高安定レンタルサーバー『エックスサーバー』 |
![]() |
![]() |
チャーハンは、炊きあがった白飯を様々な具と一緒に油で炒めた料理です。中国の代表的な料理の1つであると同時に、日本でも日常的に食べられている料理の1つと言えるでしょう。
炒飯と言えば中国料理の代表とも思えますが、その起源は中央アジア、今の新彊ウイグルあたりのようです。さらに、元々の起源は、古代インド料理「プラーカ」であるという説が広く流布されているようです。
インドの「プラーカ」という料理は、鶏や豚を煮た煮汁で御飯を炊き、その煮込んだ肉と一緒に炒めた料理だそうです。このプラーカが、その後、インドにおいてビリヤ二とプラーオという料理と発展して現在に至っているのだそうです。
また、インド国内にとどまらず、北のカシュガル(西中国)に伝わって「ポール」という料理になり、このカシュガルからシルクロードを介して東西へ広がっていったというのです。東の中国に伝わっていった料理が炒飯で、さらに韓国、日本に伝わっていったとするのです。一方、西に向かって伝わっていった結果、ウズベキスタンで「プロフ」という料理に、トルコでは「プラウ」という料理になり、さらに「プラウ」がヨーロッパやフランスに伝わって「ピラフ」になったとするのです。さらに、ピラフがスペインに伝わって「パエリア」となり、イタリアでは「リゾット」として発展したというのです。さらにパエリアは、アメリカに渡り、ジャンバラヤになったそうです。
これとは別に、インドから海を渡って東南アジアに広がり、発展した料理がインドネシア、シンガポールやマレーシアなどで食べられているナシゴレンだというのです。古代インド料理「プラーカ」が世界中に広がっていったとする壮大な説ですが、これらの事実を裏付ける明確な証拠はなさそうです。少なくとも炒飯とピラフでは、作り方が全く異なると思うのですが、これらを同じ起源の料理とするのは無理があるのではないでしょうか。
中央アジアの遊牧民族が御飯を食べていたとすると、一度、煮炊きした米を残しておいて、次回、簡単に炒めて食べていたと考えた方が、はるかに分かりやすい気がします。私としては、ピラフと炒飯は全く別の料理だとしか思えません。
少なくとも、炒飯が中国で発展したことは間違いなく、中国料理と考えても問題はないものと思います。古くは、6世紀末から7世紀初め、隋の時代の「食経」という書物に「越国食砕金飯(越国、砕金飯を食す)」という記述があるそうです。これは、隋朝の軍師であった宰相の楊素が「碎金飯(スイ・ジン・ファン)」と言う御飯と卵を炒めた料理(玉子炒飯)が好きだったということで、この情報を記録したものだそうです。「砕金飯」の「砕」は「細かいもの」を表しており、「米」を意味しており、「金」は「卵で黄色く色づけられたこと」を形容しており、「砕金飯」とは「卵炒飯」のことです。
炒飯は、中国全土で広く食べられている料理で、具としても色々なものが使われていることから、「炒飯」としての特徴を説明することが難しいように思います。一般的には、御飯がパラパラでベチャっとしていないことが良いと言われているようです。
日本では、あまり知られていないかもしれませんが、中国料理としては、上述した碎金飯(卵チャーハン)、揚州炒飯や福建炒飯が有名です。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() Salley Special Web Site 年間553円(税抜)からの格安ドメイン取得サービス─ムームードメイン─ |
![]() |
![]() |
小麦粉で作った薄い正方形の皮の中に、豚ひき肉、みじん切りの野菜、調味料を加えたアンを包んで蒸した料理です。中国全土で広く食べられている料理ですが、地域によって呼び方が違うそうです。北京では「焼麦」、山西省では「梢梅」、湖北省では「焼梅」、浙江省や江西省では「焼売」といった具合です。北京のシュウマイは、山西省から伝えられたと言われています。北京ではシュウマイを「焼麦(shao-mai)」といいますが、これには山西省の「梢梅(shao-mei)」の音が訛ったのだという説と、シュウマイの上のヒダが麦の花が綻びるのに似ているからだという説があります。
焼売の起源は不明なようですが、元の時代(1279~1368年)には、既に食べられていたようです。元代の頃のシュウマイは巾着形で、先端は花のひだのようになっていたそうです。
1799年の「清俗紀聞」という書物には、図が載っているそうです。また、1872年の「湖雅」という書物に初めて、その名が記されているそうです。
正確な情報は分からないものの、15世紀頃(室町時代)、日本に伝来したようです。1799年の「清俗記聞」という文献には、「餃子」という名称で、焼売の絵が描かれたものが載っているそうです。
日本でシューマイといえば、「豚挽肉のシュウマイ」が最も有名で、それに次いで「海老シュウマイ」くらいの知名度が高いかも知れません。もちろん、椎茸、葱、生姜などの野菜や薬味も入れますが、中国のシュウマイと比べると種類が少ないと感じます。
中国のシュウマイは、非常に多くの種類があります。北の人々はもち米シュウマイが好きだそうです。河南では切餡シュウマイ(形が咲いている牡丹の花に似ているシュウマイ)、安微では有鴨油シュウマイ(アヒルの油シュウマイ)、杭州では牛肉シュウマイ、江西では玉子シュウマイ(ふわふわの焼き玉子にシュウマイの具を包んで作ったシュウマイ)、山東臨清ではジンギスカンシュウマイ(ラム肉)、蘇州では三鲜シュウマイ(三鲜とは豚肉、魚介類、干ししいたけの事)、広東ではレバーシュウマイや牛肉シュウマイ、広州では蟹シュウマイなど、各地方に独自のシュウマイがあり、食べられています。
ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 3ヵ月、6ヶ月、12ヶ月…。好きなだけホームページやろうよ。 月額525円からのホームページサービス、プチ。 チャットレディ募集 ノンアダルトなのに時給4200円以上も!! |
![]() |
忍者ブログ |