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カツサンドは、カツレツ(主に豚カツや牛カツ)を食パンで挟んだサンドイッチのことです。今では、町のパン屋さんでも売られている、ポピュラーな食べ物の一つだと思います。
このカツサンドは、上野にある「井泉(いせん)」というお店が発祥なのだそうです。井泉は、昭和5年創業のトンカツ屋さんで、現在の文京区湯島にあります。(御徒町駅から徒歩5分くらいでしょうか)店名は、初代の画号から井泉(せいせん)と名付けたそうですが、お客さんが「いせん」と呼んだため、結局「いせん」としたそうです。 このお店は、初代が考案した「お箸できれるやわらかいとんかつ」というのが名物で、のれん分けしたお店には、このキャッチフレーズの使用を認めているのだそうです。ポイントは、「お箸で切ることができる柔らかいトンカツ」です。私は、ヒレカツをいただきましたが、カツが厚いのに、柔らかくて、本当にびっくりしました。肉は、豚の美味しさが感じられて、感動しました。 カツサンドですが、このお店の案内に「かつサンド発祥の店」と書かれています。その説明によると、初代女将が、明治生まれにしてはハイカラな人で、朝食はトーストに紅茶だったそうです。そして、初代が作ったトンカツを見て、「これをパンに挟んだらどうか」、とふと、思いついて、日本初のカツサンドが誕生したとのことです。 そう言われてしまえば、そんなものかもしれません。パンを日常的に食べている人からすれば、色々な食べ方を考えるかもしれません。いろいろな材料を乗せて、色々な種類のサンドウィッチを作ったかもしれません。そこに、揚げたてのトンカツがあれば、乗せてみるでしょう。そして、「お箸でも切れるトンカツ」であれば、パンに挟んでも美味しいに違いありません。是非、一度、「井泉」のカツサンドをお試しあれ。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 【マイクローク】増えた洋服、季節外れの布団… しまう場所がなくて困っちゃうという方必見! 安心の素材と信頼の技術が育む健康食品「黒たまダイエット」 PR |
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羊羹(ようかん)は、小豆を主体とした餡を寒天で固めた和菓子ですが、何故、菓子とは思えない漢字で書かれているのでしょうか。 羊羹は、もともとは中国の料理で、「羊」の「羹(あつもの)」だったそうです。「羹」とは「羹に懲りて膾(なます)を吹く(「羹の熱いのに懲りて、冷たい膾をも吹いて食う」ということから、「一度失敗したのに懲りて、無益な用心をする」という意味)という故事成語にもあるように、「野菜や肉などを入れて作った熱い汁物のことです。 すなわち、もともと「羊羹」とは「羊の肉を使った熱い汁物」の意味で、「煮たヒツジ肉を小さく切って、筍などの野菜と一緒に煮込み、餡をかけた料理」だったようです。 羊羹は、鎌倉時代から室町時代の頃、禅僧によって中国から日本に伝えられたようです。しかし日本の禅宗では、肉食が戒律(五戒)によって禁じられていたため、小豆、大豆などの豆類、米や麦などの穀物、葛などを練って、魚や羊などの肉に見立てて成形した、いわゆる精進の見立て料理になったようです。 この羊羹が、茶の発展と共に、小豆などで作った羹から汁が省かれて甘味が加わり、序々に茶菓子に変化していったようです。室町時代後期には、茶席の菓子として「羊羹」が登場しており、天皇や公家への献上品としても珍重されていたようです。この頃の羊羹は、小豆を小麦粉または、葛粉と混ぜて作る蒸し羊羹だったようです。 1589年(天正17年)、和歌山の駿河屋岡本善右衛門が餡に寒天を加え、棹状に固めた「煉羊羹」を作ったようです。これによって、もともとの「羊羹」とは全く異なる形状の日本独自の菓子である「羊羹」が誕生したのだそうです。 江戸時代の初期は、砂糖が貴重品であったため、一般的な羊羹には甘葛が用いられていたようです。このため砂糖を使用した羊羹は、特別に「砂糖羊羹」と呼んで区別していたようです。17世紀以後、琉球王国や奄美諸島などで黒砂糖の生産が開始され、薩摩藩によって日本本土に持ち込まれると、砂糖羊羹が一般的になり、甘葛を用いた普通の「羊羹」は廃れていったそうです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() FXは一万円から始められる! 伊勢の特産がとくさん |
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正月と言えばお節料理ですね。「おせち」とは本来、暦上の節句のことを指し、特に正月を指す訳ではありません。しかし、現在では、正月の料理と言えば、おせち料理ですね。お正月におせち料理を食べることによって、神さまと同じものを食べ、神様の力を分けていただくことができるという考えもあるそうです。
毎日、食事を作ってくれる奥様も、正月だけはのんびりできるよう日持ちがする料理を中心に準備をしておくというのは、ある種、生活の知恵ですね。 子供の頃は、美味しくないと思った料理もありましたが、今では、それぞれの意味も考えつつ、美味しくいただいております。それぞれの意味というのも、こじつけが多いと思いますが、それも日本人ならではの遊び心ではないかと思います。せっかくですので、その意味をまとめておきましょう。 ・海老:海老のヒゲが長く、腰が曲がっている形から老人を連想し、腰が曲がるまで長生きできるようにという長寿の願いが込められています。 ・お多福豆:「阿多福」という字が当てられ、文字通り福を招く食べ物として、祝い膳に良く登場します。空豆の一種で、その形が、ふくよかな「お多福」の顔に似ているところから、この名前が付けられました。 ・数の子:「二親」にも通じる「鰊(にしん)」の子です。卵の数が多いことから、両親が健在で子宝に恵まれて家が繁栄するようにとの願いが込められています。 ・きんとん:「金団」と書き、その色から黄金に見立て、財産、富を得る縁起物とされています。 ・黒豆:一年間、まめ(まじめ)に働き、まめ(健康的)に暮らせるようにとの願いが込められています。 ・紅白蒲鉾:「紅」は目出度さと喜びを表し、「白」は神聖を表しています。おめでたい時に使う色使いです。 ・紅白なます:「生」の魚介などを用いて大根、人参と「酢」で作ったことから、「なます」の名がつけられました。今は生の魚介の代わりに、干柿や昆布、柚子の千切りも用いられます。大根の医者いらず、といわれるように紅白の目出度い色合いばかりではなく、ビタミンCも豊富です。 ・小肌栗漬:小肌はコノシロという魚の成魚になる前の名前です。出世魚なので、縁起が良い食べ物とされています。小肌粟漬は、小肌の切り身を蒸した粟と一緒に酢漬けにしたもので、粟はクチナシで鮮やかな黄色に染めています。粟は五穀豊穣を願ったものですが、防腐効果もあります。 ・昆布巻き:「コブ」を「よろこぶ」、「子生」と掛け、祝いの儀には欠かせない食材です。 ・酢蓮:レンコンの酢の物。蓮根は、沢山の穴が開いていることから、その穴から将来への見通しが開けると言われ、縁起物とされています。 ・たたきごぼう:叩き牛蒡は、軟らかく煮たゴボウを叩き、身を開いて、開運の縁起をかついだ料理です。 ・田作り:「ごまめ」とも呼ばれ、片口鰯の稚魚を天日で干して醤油風味の飴炊きにしたもの。豊作を願って、小魚を肥料として田畑に撒いたことから、「田作り」と名付けられました。五穀豊穣を祈って食べる料理です。 ・伊達巻:「伊達」とは「洒落者」という意味です。伊達巻の形が、大切に扱う巻物(書物)に似た形から、知識が増えるという願いも込められています。 ・ブリの焼きもの:鰤は、ワカシ → イナダ → ワラサ(ツバス → ハマチ → メジロ)などと名前が変わる出世魚と呼ばれています。出世を祈願した料理です。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 【激安!】20GB・月額1,575円~のレンタルサーバー 三重の特産がとくさん |
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カステラは、卵を十分に泡立てて小麦粉、砂糖(水飴)と混ぜ合わせた生地を、正方形から長方形の大きな型に流し込み、オーブンで焼いた後、棹型に切った菓子です。一般的に「長崎カステラ」と呼ばれるものは、長崎県長崎市の福砂屋(1624年、寛永元年創業)が元祖と言われています。
一般的には、16世紀、室町時代末期に、ポルトガルの宣教師によって長崎周辺に伝えられたと言われています。当初のカステラは卵、小麦粉、砂糖で作った単純な食べ物でした。カステラの製造に必要なオーブンは、当時の日本には存在しなかったため、引き釜という炭火を用いる日本独自の装置が考案され、作られていたそうです。 福砂屋の説明によると、もとの名前は「カストルボル」だそうです。「カストル」とは「スペインの州名」で、「ボル」は「菓子」の意味だそうです。すなわち「カストル」は「カスティーリャ(Castella)」であり、「ボル」は「ボーロ(bolo)」なのだそうです。しかも、ポルトガル語では、「カスティーリャ」を「カステラ」と発音するのだそうです。 すなわち、カステラの作り方を伝えたポルトガル人に「これは何ですか?」と聞いたところ、「カステラの菓子だ」と言われたのが、食べも物の名前が「カステラ」だと勘違いして、そのままになった、ということなのだそうです。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() ★宿泊料金の最安値を一発検索!お隣ホテルの料金も1クリックで簡単検索★ ハリウッド映画1本105円(税込)から配信中!! シネマ・コンプレックス |
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天ぷらを知らない日本人はいないと思いますが、天ぷらのルーツは、はっきりしていないようです。16世紀後半頃、南蛮貿易をしていたポルトガル人から長崎に伝わったのが初めだというのが、一般的に言われている説です。その後、江戸時代に魚を中心とした「江戸前の天ぷら」が発展し、現在の形になっていったようです。
ただ、「天ぷら」の語源については、諸説、あるようです。ポルトガル語には、「temperar:調味料を加える、油を使用して硬くする」、「tempero:調味料」、「temporas:斎時、斎日」、「templo:寺院」など、似たような音の言葉がたくさんあり、どのような経緯で「天ぷら」になったかが分かっていないようです。また、スペイン語にも似たような言葉があり、ポルトガルなのか、スペインなのかも、本当のことは分かっていないようです。「天麩羅」は後世の当て字で、江戸時代の戯作者、山東京伝の創出という説もあるそうです。 江戸時代は、「天ぷら」と言えば、「魚介類を素材として揚げた料理」のことで、野菜類を素材として揚げた料理は「精進揚げ」と呼んで、区別されていたそうです。江戸時代の天ぷらは、屋台で食べることができる、庶民の料理として幅広い人気をもった料理だったようです。 伝統的な江戸前は、炒った胡麻油を使い、衣は厚く、歯ごたえがあり、香ばしい色に揚げます。天つゆや大根おろし、生姜などは、魚の臭みを消し、油を切る目的で足されていったようです。一方、関西風は、菜種油などで揚げ、塩で食べることが特徴と言われています。 天ぷらは、一年中、美味しい料理ですが、春には白魚、わかさぎ、山菜など、晩春には若鮎、梅雨入りの頃はキス、夏はめごち、アワビなど、秋には茄子や、シイタケなどのキノコ類、冬には穴子、ホタテ、根菜類など、季節ごとの旬の食材が美味しい料理です。 ブログランキングに参加しています!応援お願いします! → ![]() 切らないプチ整形 ヒアルロン酸注入63000円 公認不正検査士とは |
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